「最近鳴海さんが抱かせてくれないんだ……、大丈夫か」
「ッ、げほ、はっ、何を」
 異世界の己が吐いた言葉の唐突さに思わず噎せ、雷堂はとりあえず水筒の茶で喉に引っかかった芋きんつばをどうにか押し流した。この間食べて美味かったからとライドウが言う手土産は確かに雷堂も気に入る味だったのに、なんとももったいない。
 約束をしている訳ではないがたまにアカラナ回廊でライドウと出会うことがある。時間の流れが不安定な空間に長居は出来ないが、それでも多少でも時間があれば鍛錬を共にすることが多い。どちらともなく甘味を持ち寄る様になったのはわりと最初からで、今日もそうして軽く手合わせした後に互いの持ち寄りを交換し舌鼓を打つのんびりした時間だった筈だ。
 だいたい最近も何も、ライドウがその上司とどうにか纏まったのはついこの間の話ではなかっただろうか。自分とは違い男同士だからそんなものなのかとも頭の何処かで考えるけれど、初めて閨を共にする迄それなりに、とりあえず情人が不安に思う程度には時間がかかってしまった雷堂からすれば真似は出来ないと思うだけだ。
 想う相手と心だけでなく身体も通じさせていても色恋の話が苦手な性分はそう変わっていない。ひたすら茶を呷りながら内心ぐるぐると落ち着かない雷堂の態度も慣れたものなのか、ライドウはその無言を気に求めない様子でチョコレイトを飲み込んでから溜息を吐いた。雷堂が持参した頂き物の舶来菓子はどうやらお気に召したらしい。
「怒らせたんだろうか」
「……心当たりはあるのか?」
 何時までも無言で居ることも気が引けて当たり障りの無い様に突っ込んでみる。そもそもこうして鍛錬を共にし茶菓子を交換しても、どうにも異世界の己と「親しい」仲だとは思えないのだ。気安いとは思っているとしても。
「いや、普段通りに過ごしていただけで」
「なら体調が悪いのを貴様に悟られんようにしているのでは。どうせある程度は不摂生な暮らしなのだろう?」
 話を聞けば異世界の所長も雷堂の上司と同じ程度にはだらしのない生活を送っているらしく、銀楼閣の家賃滞納なども共通しているらしい。雷堂よりはよほど器用に家事全般をこなす(らしい)書生が面倒を見ているとしても、飲み過ぎやら何やらで体調が悪い、ということはあるのかもしれない。可能性が低いと雷堂自身も思うけれど、それでも多少は納得出来そうな意見を口にすればライドウは首を振った。
「体調ならある程度把握してるつもりだ。夜にずっと見てたんだし」
「……貴様がその調子だから負担だったのではないか」
「それは、……そうかもな」
 汚れた指先をひとつ舐め、傷一つない美貌の書生が深い溜め息を吐く。くやしいながらデビルサマナーとしては一段上の男がここまでわかりやすく落ちこむ様を見せるのは珍しい。
「だって欲しいんだ。あんただってそうだろ、況してや同居なんだから」
 落ち込んでいるよりは拗ねているのか。表情はそれほど動かさないまま、同じ意見でなければ許さないとばかりの眼光を受け止め損ねて雷堂は目を逸らす。異世界の己自身だということを抜きにしても、ライドウの意見は同じ年頃の男としてそれはもう心の底から同意出来る。同意出来るのだが。
「………………。我は、……」
「……悪い」
 思う様に口に出来ず濁していれば、やがてライドウは思い切り俯くと再び溜息を零した。そうして顔を上げないままに謝罪の言葉を落とす。
「謝る事ではないだろう。そちらの所長の本心は本人にしかわからん事だ」
「ああ」
「なら本人に聞くしかないのではないか」
「そうだな。……腕に抱くのもくちづけも許してくれるのに、なんで」
 組んだ腕を膝の上に置き、そこへ顔を埋めてライドウが呟く。まったく触れられない訳ではないのだな、と思ったところで拗ねた男は頭を上げたが視線は真っ直ぐ前を向けたままだった。横に立つ雷堂は欠片も視界に映っていないだろう。
「……………………」
「あんたのとこは?」
 静かな空間にぽつりと転がった言葉は雷堂の足下に辿り着いて答えを促す。
「…………、まあ、それなりに、だ」
「ふうん」
「……」
 しばらく何も言えなかった。

 ここまでがほんの少し前の話。



「雷堂」
 蕩けた瞳を眼鏡越しじゃなく今はそのまま見ることが出来る。は、とゆるんだ口元から落ちてくる湿った息の塊が錯覚でなく熱い。
「なァ」
 跨がる肢体を受け止めれば嘘のようにやわらかい。それは己自身の何処を探しても見つからないもので、違うからこそ鳴海は女なのだと当たり前のことを思った。汗ばんだ皮膚を擦り付けて口付けを寄越す想い人の色香は尋常じゃない。この淫らさが例え雷堂にしか通じないものだとしてもそれは雷堂の真実でしかないし、こんな痴態を己以外が見るというなら、持てる全力で阻止するなんて決まっているのだから。許されることではないとわかっていても、それこそ悪魔を使役する能力を制限するつもりもない。だってこれは、この女は、他の誰でもない己のものだ。己だけのものだ。
 ぐち、と繋がった部分が音を立てる。鳴海を奥深くまで犯しているのは自分の筈なのに、食われていると思うは何故なのか。擦れ合って生まれる快感はただ頭の中で反響してそれだけしか考えられない雷堂をさらに慾へと染めた。
「ッ、」
 へたりと雷堂の身体へ懐いた鳴海が淫らに腰を動かす。こちらを煽るというよりはひたすら快感を追う動きが、返って常よりもいやらしい仕草に見えてしまってしょうがない。 
 常の鳴海は閨以外と同じ様に抱き合う時でも雷堂をからかって煽り、感じた様はその身体の中へ器用に隠してしまう。巧くなったねェなんて言うくせに、いつもいつも余裕で。好きだという気持ちと貪りたい欲と与えられる刺激に余計なことを考える隙間がこれっぽち残っていない雷堂をさらに追い詰めて、吐き出すものも勢いも無様ながむしゃらさも全て受け止めて、そして笑って口付けをくれる。なのに。
 感じていることを隠そうともしない今の痴態はそろそろ数えるのが億劫な程身体を重ねた雷堂でも見たことがないものだ。雷堂を感じさせるよりも己の欲を追ったその様は、こちらを煽るものでもないのに、煽るものでもないからこそ酷く淫猥に映る。
「鳴海」
 雷堂の身体に手を付いて俯いてしまっている女が深く喘いでいる。呼べば鳴海は湿った前髪越しに視線を寄越した。その眼差しひとつに頭の何処かが焼き切れたかと思っても仕方が無いだろう。涙の膜が張った瞳をもっと見たいのに、たまらず頭を掴んで唇を合わせれば強引な所作にも鳴海は従い、舌を擦り合わせて口付けに答えた。合間の荒い息ごと貪るうちに自然と降ろした瞼を持ち上げれば、鳴海のそれも寄った眉の下で隠されてしまっている。
 きつく舌を吸う。鳴海がふるえる。たまらなくなって肉の薄い尻を掴み、淫らな動きを強引に止めて思うまま突き上げれば、唇をほどいて女は吐息とも悲鳴とも付かないものを口から零した。好き勝手に汗ばむ身体を揺さぶって己の快感を追ううち、固く閉じられた瞼から涙がぽろりと零れる。
「あ、っァ、ひ……ッあ! ら、いどぉ……ッ、らいど、」
 呼ぶ声がいっそ幼い子のようだ。ほんとうに幼ければ決してない色香をごまかす様に滅茶苦茶に掻き回せば、女の身体は雷堂の望む様に揺さぶられて。
「やあ、あ、きもちい、」
 鳴海。鳴海。鳴海。



「気持ちい、い……ッ」



 視界に飛び込んで来た見慣れた天井。
 熱くなっている皮膚も激しい動悸も認めたくはないが慣れてしまっているもので、雷堂は一人の気安さで盛大な溜息を吐くと恐る恐る掛布を剥いで寝衣の裾を持ち上げる。
「…………」
 なんとも言えないのは当たり前だ。もう一度深い深い溜め息を吐き、とりあえずは始末が先だと身体を起こした。夢に迄見るとは情けない。覚醒した頭はただ惨めだとしか思えない。
 朝だ。
 窓に切り取られた空は青を透かして白い。今日もいい天気だろう。
 はあ。
 吐いた息のあまりの情けなさに心の底から呆れ、雷堂はいつもの朝食をこしらえるため自室を後にした。

  ◆ ◆ ◆

 
 雷堂が手を出してこない。

 ぽーん、と耳に馴染む響きが四つ。午後の眠気をゆっくりと取り払ってくれる柱時計の音に思わず欠伸が零れる。
「ふァ」
 そろそろ雷堂が戻ってくる頃だなと考えながら煙草に火を付けた。真っ直ぐ帰ってくるならもう四半刻程、軽く見回りでもしてくるなら一刻後、だいたいいつもそれぐらいだ。
 何も無ければ探偵社を閉め夕食を作りその後は思い思いに時間を作って眠ることになる。今日もそうなるんだろうな、とぼんやり考えながら鳴海は机に寝そべった。最近は事件も無く暇でありがたいことだ。ありがたくはあるのだが、暇だとどうしたって余計なことまで考えてしまう。
「…………」
 雷堂が手を出してこない。
 最近の悩みといえばもっぱらそれぐらいで、無意味に安楽椅子を揺らしながら自嘲した。なんだかこれでは付き合いたての頃のようだ。
 預かり子が帝都に来てから暫く経つ。あの超力兵団事件の折になんだかんだと色々あって、事件解決の中で何の因果か雷堂の手で過去との清算までしてしまって、多少の回り道もしたが雷堂とは想いを交わす仲になった。手っ取り早く言えば恋人だ。
 想いを交わしてから身体を重ねる迄も変な行き違いがあって少々時間が掛かった。それでもその後はゆっくりとぎこちなさも取れて良い意味で慣れてきたと鳴海は思っている。
 欲に振り回されてしょうがない年頃の筈なのに雷堂がえらく自らを律しがちだという傾向はあったが、本当に人並みに仲良くさせてもらっている。いや、もらっていたのだ。
 それがもう何週間閨を分けてしまっているのか。
 指折り数えようとして行為のあんまりな無意味さに呆れ、鳴海は溜息を吐いて電話を手繰り寄せた。こういった時は酒でも飲んだ方が良い。雷堂には悪いが飲みでもしないとやってられない。食事はいらないとだけ書き置きして出かけよう。酔えば帰って来ても要らないことを考えずに眠ればいいだけなのだから。

 そうして飲める人間を呼び出してみれば、指定した時間より遅れて登場した鳴海へ露骨に嫌そうな顔を向けてきた。まあ当然ではある。

「お前らいい加減にせぇよ」
「うっさい」
 ぎ、と睨みつけても深川の任侠が怯む筈も無い。まあ確かにこうして押し掛けて愚痴を吐いているのももはや恒例のことで、多少は申し訳ない気持ちだってどうしようもない大人でも持ってしまっている。
「まあお前がそんなんなっとるの見るんはええ肴やけどな、毎度毎度どうしてそんなしょうもないことに儂が付き合わなあかんねん」
「いいでしょ、酒代分ぐらいは付き合えよ」
 持ち込んだ一升瓶は若頭が好む銘柄のものだ。任侠の伝手を使えば手に入らなくはないがそれなりの労力は必要になるそれが対価なら充分過ぎるだろう、隠さず素直に告げれば男は面倒くさそうに顔を顰めてから手酌で杯を満たした。
「竜宮の場代は儂持ちやがな」
「あれなに奢ってくれんの?」
「白々しい」
 鳴海がへらりと笑ってみせても佐竹は不機嫌な顔で酒を干している。少し前に羽黒組の若衆がちょっとした揉め事に介入しそうになったところを掬い上げたような気がするが、鳴海としては首を突っ込まれると自分の仕事がやり辛いからひょいと摘んで放り投げただけだ。若頭に釘を刺されるか有り難がられるかは五分五分の読みだったがどうやら後者だったらしい。互いに口には出さないけれど、こんな持ちつ持たれつで腐れ縁は続いているのだからこのやり方でいいととりあえず鳴海は思っている。
「わーい、じゃあ有り難く気前の良い兄ぃに奢ってもらうとしますかね」
「好きにせぇ。……で、なんやったか、その」
「健ちゃんが十代の若造だった頃の性欲について」
「…………」
 酒を舐めながら流暢に告げれば佐竹は目を閉じ大きな溜息を吐いた。どこかで見たような仕草だと考え、ああそういえばあの少年もたまに同じようなことをするなあと思う。佐竹と雷堂では年齢も生業も似通った要素は少ないが、根本的なところで男という生き物は変わらないのかもしれない。
 里芋の味噌煮付けを齧りながら鳴海がそんなことを考えていると、深川の任侠は杯を呷ってから卓向かいの女へ視線を寄越して来た。
「……猿とは言わんがまぁ元気やったわな。誰でもそんなもんやろ、というか何でお前はまた葛葉とごちゃごちゃしとんのや」
「別にごちゃごちゃしてないですー」
 言い返してみても佐竹の目は嘘を許さない。その職業柄とも言える強過ぎる気迫をこんなところで出すなよとは思うものの、まあ言い出したのはこちらだからと鳴海は心の中で両手を上げた。
「いやほんと、何もないだけで。むしろそれが問題というか」
「手ェ出して来ぃひんのは解決したんやろ? 仲良くしてる言うてやらしい笑い方しとったがな」
「あーうん、それはそうなんだけど」
 雷堂と恋人になった後、なかなか同衾することができずぐだぐだと悩んでいたことを佐竹には知られている。どうにかこうにか叶った後には気安さに任せて多少のろけた覚えもある。
「普通だったと思うんだけど、なんだ、この何週間かまぁったく無くて」
「まったく?」
「そういう雰囲気になる前に避けられてる、ってのかなァ。それまで仕事で忙しいっての以外では割としょっちゅうだったし、誘えば断られることはなかったんだけど」
「なら乗っかったればええやないか。得意やろ」
「……」
 以前と全く同じ忠言を任侠が寄越す。ある程度予想していたとはいえ実際に耳でその言葉を聞けば脱力具合も予想以上のものだった。行儀悪く膳に肘を付き手の上に顎を乗せ、懐を探って煙草を咥える。
 それができれば苦労はしない。
 態度にありありと表れた言葉を佐竹はおそらく正しく受け止めているのに何も言わず、鳴海の皿から生麩を当然の様に摘んで飲み込んでしまった。
「…………飽きたかなあ」
「………………葛葉は童貞やったか」
「違ったみたいだけどさァ、あいつ若者中の若者でしょ。健ちゃんもさっき元気だったって言ったでしょ。いや実際もう勘弁と思う日もなかったワケじゃないけど、こんだけ間が空くとなあ……。あたしの知ってる若造ってのはふざけんなって奴しかいなかった気がするんだけどなああああああ」
 煙草を灰皿に押し付け、大げさに嘆いてぱたりと倒れてみせても、佐竹はちらりと視線を寄越しただけで次の生麩に手を付けている。
 飽きられていたら。
 それはないだろうと思いつつ、それでも飽きられてしまったなら鳴海が取る対処は「身を引く」しかないと思っている。辛いけれどきっと簡単に出来る。簡単に出来る筈だ。これは言い聞かせている訳ではない。
「女の欲求不満は恐ろしいの。儂は何を用意したらええんや、薬か縄か男ようさんか玩具か。また呼んだるから言うてみぃ」
 欲求不満と言われてしまえばなんとなく癪だったが、まあ色んなものを取っ払ってしまえば確かに間違っていない様にも思う。
「………らいどぉ」
 ぽつりと零した名前は酷く頼りなく和室へ響き、どこかの壁へ当たる前に掠れて消え失せてしまった。ぱち、かたり。箸を置き杯を取る食事の音。それは今この空間で一番現実味があるものに思える。
「葛葉ぁがな」
「ん」
 よくわからない沈黙がいくつか通り過ぎ、不意に佐竹が口を開いた。寝転んだまま瞼を持ち上げれば膳の角で殆ど隠された佐竹が煙草に火を付けている。
「お前らまとまった時に儂んとこ来よった」
「あぁ、そうなんだよな。あたしが言う前に健ちゃん知ってたから最初びっくりしたけど」
 雷堂との仲は隠してもいなければ公言もしていないというのが正直なところだ。指摘されれば認めるがこちらから言うことも無い。それでも世話になった人間には言うのが筋だろうと任侠を訪ねた時には「もう知っとる」で一蹴され、葛葉が来た、という言葉だけついでのように聞かされていた。
「何言うんかと思たら」

 あの人は我のだ。今後は遠慮願いたい。

「わっかりやすい牽制やったから思わず笑たら本人もあれやと思ったんやろな、いらんこと言うてすいません言いよったけどな。あんな人を真っ二つにするような目ェで言うた男が照れたか悔しいか知らんけどぐるぐるしとったんはまあ見物やったで」
 その場に居た訳ではないのに、黒づくめの真っ直ぐな背が簡単に浮かぶのはどうしてだろう。
 雷堂が鳴海と佐竹の仲をそれなりに嫉妬しているのは気付いている。仕事やまだ雷堂にはできない「飲み仲間」という部分があるから佐竹の関係を完全に切ることはできないが、当然ながら泊まりはしなくなったしもちろん身体の関係も今はない。だいたい迫ったところで雷堂を酷く気に入っている佐竹が応えるとは、まあ八割ぐらいであり得ない。
 色々をひっくるめた過去を雷堂が問うことはない。気になって仕方が無い筈のそれを鳴海の意思に任せてくれているのは正直ありがたく、少年にとって負担だとしても甘えるつもりだった。聞かれてごまかせる自信は無駄な程あるけれど、それでもやはり嘘を吐くのは多少心が痛むのだから。
 情人になる前のことを持ち出す無粋さをあの年頃の少年でもわかっているのだな、などと変に感心していたのだがどうやら我慢は出来ていなかったらしい。
 多分。
 責める権利は無いと自分を律して。
 それでも言わずにはいれなくて。
 言ってしまった自分をまた情けなく思って。
 無意識に頭の中で少年の思考を追い、思わず失笑したところで誰かの指が髪に触れた。鳴海でなければ当たり前だが佐竹のものだ。
「佐竹?」
「ま、いろいろと世話になっとるからな」
「たっ」
 一度荒く髪を梳いた指先が離れ、ぺしりと額を叩かれる。それなり痛みを感じて鳴海が涙目で任侠を見上げれば、佐竹は煙草を銜え視線を何処かにやったまま呟いた。
「貸しやで」
 何が、と問う前に鳴海の耳へ飛び込んで来たのは耳慣れた声。
「失礼します」
「おう」
 身体を捻れば逆様になった視界の中、鳴海の情人が相も変わらずな黒づくめの姿で立っている。なんでこんな所に雷堂が居るのかと考え、一瞬の思考で答えは出た。佐竹に視線を戻せばまだ紫煙を燻らせている。
「用意したったわ」
「健ちゃ」
「佐竹さん」
 用意した、の言葉に佐竹へ詰め寄ろうとすれば雷堂の言葉に遮られた。雷堂が怒っているのか悲しんでいるのかよくわからないけれど、どうやら穏やかじゃないことは確からしい。
「……わざわざご連絡頂いたことには感謝する。が」
「え、ちょ、雷堂ちゃっ」
「鳴海さんは連れて帰る」
 上司を無視して佐竹にだけ話かけた雷堂は寝そべった鳴海をひょいと肩に担ぎ上げ、そのまま掛けてあった上着と帽子をてきぱきと集めてしまう。
「おう、頼むわ」
「言われずとも」
「待てよお前ら何でんな通じ合ってんの!? つか雷堂ちゃん下ろせってッ」
 長さだけならそこらの男と変わらない身体を担いだままで雷堂は廊下に出てしまう。流石に仲居が出てくる前に身体は下ろされたが、半ば誘拐されるような体で持ち出された鳴海がどれだけ聞いても雷堂は帰宅するまで何も話さなかった。

「で? 何なんだよ、さっきのは」
「…………」
 銀楼閣へ辿り着き、closedの札が掛かった探偵社の扉をくぐる。とりあえず作った珈琲をソファに並んで啜ってから促せば、雷堂は漸く口を開いた。
「……佐竹さんから電話があった。妙に凹んだのに捕まったから心当たりがあるなら回収しに来い、来なければ泊めると」
「なるほど」
 ぽーん、と柱時計が柔らかい音を響かせる。それが終わるまでは口を噤み、最後の残響まで完全に消え去ってから鳴海は言葉を継いで煙草に火を付けた。日付が変わるまでにはまだ充分時間があるし、ここで雷堂を寝かしつけてしまうよりは話した方が良い。
「でもあんなかっさらうような真似しなくても良かったんじゃないの、お前も飯に混ざれば良かったのっにぃっ?」
 言葉尻を攫う様に雷堂の手が伸び、痛くはないが強い力で肩を掴まれそのまま向き合う様に身体を引かれる。何だ何だと思いながら抵抗はしない鳴海の真正面、雷堂は真顔で捕まえた女を見据えていた。
「馬鹿か」
「は」
「鳴海さんは馬鹿だと言ったのだ。……鳴海さんを疑う訳ではなくても他の男の所に居られて良い気はしない。佐竹さんがからかっているだけなのは理解出来るがこういうものは理性で対処出来るものではないだろう。それに……、」
 我が未熟なせいだとはいえ、ああいった寛いだ表情を我ではさせられないのだと思うと悔しくてならない。一刻も早く鳴海さんを連れてあの場を離れたかったのだ。
 確かに強引だった。すまない。
 言いながら雷堂の視線は徐々に下へと下がり、やがて完全に俯いてしまった。
「……なんだそれ」
「すまない」
「なんだよ雷堂ちゃん、そりゃあいつとは腐れ縁だから気安いのは確かだけどさァ。雷堂ちゃんの前で寛いでないってのは絶対ないから。……むしろそう思われてることの方がなんかちょっともやもやするって言うか」
「すまない」
 そろそろと離れていく雷堂の手のひらを追って鳴海のそれで掴む。ぎゅっと握り込んでやれば俯いたままの雷堂がびくりとふるえた。
「謝って欲しいんじゃなくて、あー、いや、雷堂がそう思っちまうんなら」
 手を掴んだまま身体を傾かせて雷堂の肩へ額を擦り付ける。何度か繰り返して胸に懐けば、雷堂の頭も鳴海のそれへ傾けられた。ざり、髪が触れる感触。
「もっと側に居れば良いのに」
 不安になるぐらいなら離さなければ良いのに。
 懐くついでに顔を上げれば雷堂もこちらを見ていたので、鳴海は近付きがてらその白い肌へ唇を押し当てた。口に頬に、気まぐれにいくつも啄むうちいつのまにか掴んでいた筈の雷堂の腕に抱かれている。
「ん」
 顔中触れていない所がないぐらいに口付けを落とした。途中で邪魔だと学帽を滑り落としても雷堂からの文句は無かった。吐息を絡めて咥内を舐めて来たのはどちらが先立ったのかほんの僅か前のことなのにもう思い出せない。じんわりと欲情が滲み出した思考でこういうの久々だなあなどと呑気に思い、上がった息を零しながら情人を見ればわかりやすい欲を浮かべた瞳が鳴海を見据えていた。ぞく、身体中を駆けていく波に揺らされるままただ名前を呼ぶ。
「、綾、」
「ッ」
「え」
 途端にばっと身体を引きはがされ、くっつけていた身体の間に篭っていた熱気があっという間に何処かへ消えていく。淡く火照った肌へ急にぶつけられた冷気はとんでもなく、頭の中までざあっと冷えた。
「……鳴海さん、もう遅いから今日は」
「なあ雷堂ちゃん」
 そういうことが無いと嘆き出してもう随分になるが、ここまであからさまに避けられたことは無い。いつもなら軽く口付ける程度でさり気なく何処かへ退散してしまうからだ。漸く与えられた熱を途中で取り上げられてしまえば我ながらどうかと思う程腹が立ち、鳴海は昔取った杵柄とばかりに雷堂をソファへ押し倒した。情人からすれば途端に視界が変わったせいか先程までの熱も何処へやら、ぱちぱちと瞬きを繰り返している。
 その様を可愛いなあと眺め、雷堂の腰を跨いで何が起きたかわかっていない顔にもう一度口付けて今度は思う様その唇を貪った。強引に撥ね除けられるかとも思ったが、流石にソファの上の雷堂の上、という不安定な場所に陣取る鳴海を気遣ったのか床へ振り落とすような乱暴さをみせてくることはない。
「っは……」
 どれだけ時間が経ったのか。
 鳴海がゆっくり半身を起こせば、とんでもなくきれいな顔を上気させて雷堂が見上げて来た。唾液に濡れた唇を指先で拭えば腹筋だけで起き上がってくるので鳴海も太股の上へ座る形になる。
「何、を」
「なあ雷堂ちゃん、なんであたし抱かないのかな」
 ぽつりと鳴海の言葉が零れ出る。ぐ、と雷堂の息を飲む音が重なった身体に響いた。
「そんなことはない」
「ばればれの嘘とかやめろよ、もうどんだけしてないと思ってんの。……飽きたとかならしょーがないかなって思うけど」
「ありえんことを言うな!!」
 静かだった探偵社内での唐突な大声は部屋の隅までしっかりと響いた。くぐもった空気を拭うようなそれに鳴海は眉を下げて少し笑い、目を閉じる。
「はは、ありがとな。うん、お前が好きでいてくれるって私も信じてるんだけどさ、じゃあ余計『何で』ってなるだろ。これはおかしい道理じゃないよな? わかんないから佐竹んとこ柄にも無く相談とかしに行ってたってわけだ」
「それ、は」
「お前が嫌がることして悪かったと思うけど、さっきも言ったけど、ならもっと側に居たら良い。他に行かせないぐらい。なのに側に居てくれないんだったら、お前の態度とかこれとか、お前が信じられないわけないんだけど、じゃあ何でだって余計思っちまう」
 これ、と言いながら雷堂の股間へ指を滑らせればそこは肉が布を持ち上げて山を作っている。爪先で引っ掻いて雷堂が息を詰めるのを聴き、鳴海は漸く瞼を持ち上げた。
「なあ。なんで抱かないんだ」
 一回り以上も年下の少年に大人げなく何を聞いているんだか。我ながら情けないと思いながら雷堂の返答を待っていれば、鳴海の情人は一度ぎゅっと目を瞑ってから深呼吸し、それから鳴海を見据えて来た。
「……、鳴海さんが」
「私?」
「鳴海さんが一番良く知っているだろう。我にどれだけ余裕がないか」
「は」
 何の話だ。思わずそう言おうとして鳴海は口を噤んだ。
 間違いなく真剣に雷堂は答えようとしてくれているはずだ。
 はずなのだが。
「だだだ抱き合う時、我はいつもその、何も考えられない程溺れていると思うしそれはきっと鳴海のおかげだと思っているのだ」
「はあ」
「本当だからな!」
「いや別に疑ってないけどさ」
 とりあえず返事をしてもなにやら雷堂はいっぱいいっぱいらしい。先程の欲の残り火というよりはおそらく羞恥で染まり出した頬に触れればわかりやすく熱い。
「だが! 我は鳴海さん以外経験が無いに等しいし、どうすればいいか未だにわからんことも多いし、どこかで修練を積めば良いのだろうが鳴海ではない誰かを抱くなど考えられん」
「ちょっと待てお前」
「どうしたら満足させられるか我にはわからずにだな、わからないまま抱いてしまえばまた我だけがその、しあわせ、で、すんでしまうと思えば、その、」
 とりあえず言いたいことを伝えたもののそこから先を言うのは気が引けたのか羞恥が勝ったか、雷堂は言い淀んで目を逸らしてしまった。
 言われたことを頭に詰め込んでどうにか咀嚼して、自分の都合の良い様にも悪い様にも解釈してみればもう鳴海の中からは笑いしか浮かんでこない。まったくこれは。
「……、は、はは」
「鳴海?」
 すぱーん。
 景気良く響いた平手打ちの音に、どこか遠くで犬の鳴く声がひとつふたつ重なって消えていく。容赦なく叩かれた情人は長い睫毛に縁取られた目を一杯に広げて鳴海を見ている。
「や、ごめん、はは……気ィ抜けた」
 本当に気が抜けた。どんより思い悩んだ時間が長かったから気が抜けてしまえば身体を支えることすら面倒臭く、今度は何の含みも無くただ支えを求めて鳴海は雷堂の肩へ頭を預ける。
「あと気も済んだ。馬鹿だねェ雷堂ちゃんは」
「ば、かとは何だ」
 目の前にある首筋をひと舐めすれば雷堂の身体が大げさな程揺れた。堪えるつもりもないので遠慮なく喉を鳴らし、両の手のひらで少年の頬を包む。
「馬鹿だよ」
 軽く唇を重ね、雷堂の手のひらを取る。抵抗しないそれを動かして左胸のふくらみへ沿わせれば、肌の若い大きな手は包む様にして僅かに指先を沈ませた。
「何を」
「すんごいドキドキしてるだろ」
 雷堂の手のひらの上から更に自分の手を重ねてぎゅっと抱く。ああ恥ずかしい、正直に言えばただそんな感想でしかなく、鳴海は知らず笑みを零した。色んな事を小器用にこなして来た人生の筈だが、雷堂と出会ってからこちらどれだけ自分の無様さを思い知らされていることか。幽霊だった時分も無様だと己を呪ったけれど、今のこれはきっと別物だ。
「お前とこうしてるだけでこんななんだからさ、私が満足してないだなんて言うなよ。感じないはずがないだろ馬ぁ鹿。練習するってンならあたしでやれ」
 く、と雷堂の手のひらに僅かな力が篭る。ただそれを受け止めて鳴海は言葉を続けた。
「それにさ、お前がそうやってるみたいに私だって惚れた相手には情けないとこ見せたくないってのがあるから。他の知り合いの前では気ぃ抜いてるのはあるかもしれないけど、それはまあお前に惚れてたらしょうがないから我慢してくれ。お前の前で寛いでない訳じゃない……ってのは普段見てたらわかるだろ」
 不安が解消されれば途端に口も回る様になる。常の自分を取り戻しているのをひしひしと実感し、鳴海はふわりと笑った。
「にしても、私が満足してるか不安だったなんてえらく健気だねえ雷堂ちゃん?」
「当たり前だ」
 鳴海にされるがままだった雷堂がこの時には重なった手のひらを反転させ、鳴海のそれと合わせてゆっくり指を絡めた。壊れ物に触れるような動作をこそばゆく思っているとふいに真っ直ぐな目を向けられる。

「惚れた女を抱く男なら考えない訳がないだろう」

 こんな時だけ照れもせず言うのだからもういっそこれは反則だ。
 きゅうと心臓を掴まれたような心地がして、たまらず鳴海は想い人へ抱きつき、赤く染まってしまっているだろう顔をなんとか隠した。
 

 ◆ ◆ ◆


 しがみついて来た想い人の身体を腕の中に仕舞い込み、雷堂はそっと息を吐いた。決して抱きたくなかった訳ではないが結果的にそうなってしまい、女の温みを久々に味わった身体はどれだけ理性で抗おうとも鳴海を離そうとはしなかった。
 場所がソファだというのはともかくとして、惚れた相手が己の上に座って抱きついているのだからもっと触れたいと思うのはきっと当たり前のことだ。
 誰も聞かない適当な言い訳をひとつ胸の中で零す。猫地味た仕草で頭を鳴海のそれに擦り付けながら、軽く背を撫ぜていた手をするりと落としてベストの下に潜らせる。
「ぁ」
 そのままシャツの端を引き摺り出してやわらかな脇腹を直に撫で回せば、鳴海が吐息とも声ともつかない何かを口から零した。
「ちょい待て、風呂……」
「嫌だ」
 一度触れてしまえば止まらなくなるのは誰よりも雷堂自身がわかっていたことだ。顔を上げた鳴海の喉に歯をあててゆっくり舌先を探らせると、身を捩った鳴海が唾を飲んだのか色白い肌の急所は舌の上でこくりと音を立てて動いた。生理的な反応だとしても雷堂には艶かしく見えて仕方が無い。
「嫌だって、お前、」
「待てない。不安にさせたのは本当に反省した。が、鳴海が満足だと言うのを疑う訳ではなくとも、やはり我は鳴海と違ってこういったことが不得手なのだと思う」
 言いながら探らせる手は視界に入れなくてもシャツの釦と奥に在る肌着のそれまでも外し、不得手だとは言いながらこればかりはすっかり慣れてしまったな、と雷堂は薄く笑った。最初は焦るばかりでちっとも上手く外せなかったし雷堂よりも鳴海自らが外した数の方が多かったかもしれない。気が逸って焦ることは今でもあるけれど、釦を外すこと自体に不安を覚えなくなったのは何時からだろう。
「練習するなら私でしろ、と言ったのは鳴海だ。なら我は言葉に甘え、精進するとしよう。……それに、何よりすぐに」
 胸元まで幾つか付けた紅い痕に満足し、ひと舐めしてから顔を上げる。珍しくこの程度で頬を染めている想い人は一度視線を泳がせてから雷堂のそれと合わせた。
「鳴海を抱きたい」
 もう待てない。
「ッ、勝手に待ってたくせにんなこと言うな」
「違いない」
 情人の尤もさに思わず喉を鳴らすと、わかりやすく不機嫌を装った鳴海に噛み付かれてしまった。だってしょうがないのだ。漸く抱き合うことに慣れ、ほんの少し余裕が出来てしまえばその余裕な部分で考えたのは「鳴海を満足させられているかどうか」だったのだから。考えてしまえば途端に不安になり、満足させていないのなら鳴海に行為を強いるのは駄目だ、しかしどうすればそういうことが上手くなるのかわからない、二つをぐるぐる考えているうちに時間だけが過ぎた。結局のところ鳴海の焦れと第三者の介入でどうにかなっただけで、雷堂自身の問題は何も解決していないけれど。
「だがずっと抱きたかった。夢にまで見た」
「何だそれ」
 くすくすと笑う鳴海を受け止めたまま後ろに倒れ、再度寝そべる。今日はソファの上で寝たり起きたりと忙しない。
「夢の中の鳴海はおそらく我の願望だった。妄想と言われたらそれまでだが、わかりやすく感じて」
「感じて?」
 四つ這いになった鳴海が続きを促す。悪戯を仕掛けてくる指先を咎めはせず、雷堂も手を伸ばして鳴海の腰へ触れた。スラックスの前さえ開ければ手を滑り込ませるだけで簡単に、質の良い布地が鳴海から滑り落ちて下着と長い脚を露にすることができる。
「気持ちいい、と、言っていた」
 熱に浮かされて気付いていないだけかもしれないが、少なくとも雷堂の記憶では最中に言われたことは無い。鳴海は元々何故だか恥ずかしがって声も態度も押さえがちだし、結局はそれも雷堂の力不足が招いている事態だと結論付けて苦笑した。胸や尻に触れながら目の前の顎先を舐めようとして漸く想い人が固まっていることに気付く。
「鳴海?」
 普段はまだ照れて出来ないけれど、最中であれば本人の望み通り敬称をつけずに呼ぶのも意識せず出来る程度には慣れた。
「……いや、ごめん。ちょっと反省してた」
 あたしのせいでもあるんだなぁ。
 ぽつりと零した鳴海はくたりと頽れて雷堂の身体へ懐くと、触れるか触れないかといった加減で口付けて来た。
「お前の声が好き。呼ばれるとぞくぞくする」
 捕らえられた手が顔の前まで運ばれ、指先に口付けられる。
「手も気持ちいい。あたしのこと大事に触ってるってわかる」
 胸元に唇が押しあてられると僅かな痛みが走り、痕を付けられる。
「触るときどこもかしこもお前熱いんだ。ぎゅってされるだけで気持ちいい」
 一呼吸程の間を置いて触れられたのはさっきから煽られ過ぎてズボンの中で随分と窮屈になってしまっている肉で、布越しに触られているだけなのに出るかと思った。
「あと、ま、これも。入れられんの、好き、かな」
 仕草の淫らさなど何も知らないような顔をしてへらりと笑い、何でもないことの様に鳴海は言う。

「あたしは綾に抱いて欲しい」

 頭の中が焼き切れるような感覚を鳴海と過ごすうちに何度味わう羽目になるのだろう。どこか片隅でそんなことを考えながら、雷堂はふわりと口付けてくる女の唇を割って深く犯した。離したくない繋がりたい、もっともっと奥まで。やわらかい部分を乱暴にまさぐって別の手では下着も引き摺り落とす。膝にひっかかるそれを床へ放り投げることが出来たのは鳴海の協力があってこそだ。
 呆れる程の性急さにも想い人は貪欲なまでに応えてくれる。控えめな嬌声を耳に心地良く聞きながら、鳴海、と雷堂は何度も呼びながら望んで欲に溺れた。
 

「そう言えば」
「ん」
 ソファでそのまま終われず鳴海の訴えもあって風呂に入り、まあ浴室と鳴海の部屋で睦んだ後。雷堂の想い人は申し訳ないかなぐったりとベッドに懐いている。再度シャワーだけ浴びて倒れ込んだ身体をそのままにすることも出来ず、雷堂はベッドの上に座ると女を起こして支えながら髪にタオルを被せた。
「十四代目も悩んでいるようだった」
「ああ、他の世界の雷堂ちゃんって子な。悩み?」
 されるがままの鳴海がのんびり言う。濡れて真っ直ぐになった髪は何度見ても思ったより長く、普段は見えない耳がのぞいてざわつきかけた心をどうにか沈めた。流石にここでもう一度襲うのはどうかと自分でも思う。
「我等とは立場が逆だったが」
「へ」
 間抜けな声を漏らした鳴海はそれでもすぐに意味を理解したようで、ちいさく笑った様に見えた。
「何だそれ、どこもかしこもくだらないことばっかで平和だな」
「あんなに落ち込んだ十四代目を初めて見た」
 鳴海の言葉には自嘲の響きと、外から見てどれだけくだらなくても当人であれば重大な悩みだという理解の両方が滲んでいる。それがわかるからこそ窘めることはせず雷堂も言葉を続けた。
「普段は我に弱みなど見せない男なのだが」
「あっちの私は男なんだっけか」
「そうだ」
 大雑把ではあるがここまで乾けば風邪を引くことは無いだろう。濡れたタオルを椅子の背に干し、離れたほんの僅かな隙に寝そべってしまった鳴海の横に座る。 
「まあ色々あるんだろうけどさ、なんとなくわかるかも」
「我にはあちらの所長も十四代目のこともさっぱりわからん」
「それでいんだよ」
 目を閉じ呟いた鳴海の表情が酷く満足げなものに見え、雷堂は持ち主の了承を得ずそうっと眼鏡を抜き取って唇を重ねた。鳴海が何も言うことは無く、雷堂もそのまま眼鏡をサイドボードの定位置へ置いてしまう。
 こんな穏やかな時間が異世界の己にも訪れています様に、無意識に願おうとしたところで苦笑した。願わずともあの十四代目は叶えるためならどんなことでもするだろうし、雷堂の祈りなど必要ないと切って捨てるに違いないのだ。雷堂でもやり方は違えどきっと同じことをする。
「なあ雷堂ちゃん、それより腰痛いから撫でて」
 掛布を捲って誘われてしまえば雷堂に抗える術は無く、腰痛だってその原因の殆どが自分だという自覚は充分過ぎる程ある。

 想い人を癒す為という大義名分を手に入れた雷堂は温まった布団に身体を滑り込ませた。必要ないと理解していても、異世界のライドウと鳴海が同じ心地であれば良いと、頭のほんの隅っこで考えながら。


 終わり


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20121104up/初出20221030コピ本

相変わらずの無駄にもめるえろほんでした。本番無くて申し訳なく……
任務やらだといくらでも意図的にビッチになれるのに
雷堂さん相手だと天然ビッチな鳴海さんが好きです。