母は己を身籠っている間に一つの夢を繰り返し見たらしい。  花に埋もれて呼吸すら侭ならなくなる夢だ。  それだけならなんということのない話で済むが、母は悪阻が酷い時期に何故か花にばかり異常な食欲を示したという。まっとうな食べ物ではないとしてもそれしか食べられないのなら妊婦に与えないわけにもいかず、言うなれば母はその期間は花によって胎児を育てた。  その結果。  十四代目葛葉ライドウを襲名している悠木緋人は、感情の発露として花を生み出す体質としてこの世に生を受けた。  父は花の呪いだと酷く嘆いたらしいが息子の前で苦悩する姿を晒していた覚えは無い。両親が愛情を持って育ててくれたのは間違いなく、少年は文字通り花を振りまく笑顔を出し惜しみせずごく幼い頃を過ごした。  しかしそれも生きる世界が家庭内に収まっていた頃までの話で、成長するにつれ家族外と関わりを持つ様になると体質が知られた途端に化け物扱いされる様になった。住むところを何度か変えるうちに自然と身に付いたのが無表情の能面だ。同じ頃に花の影響か生来の気質か、悪魔の存在を感知するようになり、人の子と近付かない様にしていた少年は人ならざる者を相手に野山で遊ぶ様になった。  そのうちにどこから情報を得たのかヤタガラスの遣いに声をかけられ、少しでも異端に見られることが無い場所で心易く過ごせるなら、と父母は息子を隠れ里へ送り出した。修行を重ねライドウ候補に挙げられても、ヤタガラスがどれだけ原因を解明しようとも、花に関してはっきりしたことは分からなかった。悪魔でも術でもなく無から有を生み出す所業は、魔を遣い魔を討つ者から見ても異端だったらしい。結局は里で迫害はされずとも遠巻きにされることが殆どで、良くも悪くもそんな事態に慣れ切った少年は月日が増すごとに丈夫になっていく能面をしっかりと被りながら十四代目襲名までを過ごして。 『俺も魂だけとはいえ随分長く生きてはいるが、お前のような体質は初めてみた。……が、まあ世界は広い。俺が知らなかったというだけだろうよ。当代として過ごすことに問題なければ文句は無い』  ライドウ襲名後、目付けとして紹介されたゴウトは略歴を伝えるとそんなことを言って尻尾をぶんと振った。体質の証明として愛想笑いで出したアザミをひっかけている黒い尾の先を今でもなんとなく覚えている。ライドウの生む花は感情や起伏の程度で様々だが、気のない笑いをすればそこらの野草が生まれることが多いのだ。  初めて会った時と変わらず黒猫の尾が今日も揺れる。 『鳴海に言うつもりはないのか?』 「ない。今のままで問題ないならわざわざ言わなくても良いだろう」 『……』  ライドウの特殊な体質を鳴海は知らない。  ヤタガラス側の人間で監視も兼ねた保護者が鳴海という男だ。ならば残らずライドウ自身の情報が与えられているのかと思いきや、鳴海は体質はおろか「十代後半にして当代ライドウを襲名した少年が来る」としか聞いていなかったらしい。その事実に戸惑ったライドウが隠すべきなのかとヤタガラスの使者に尋ねてみれば、返答は「十四代目に委ねます」とただ一言だった。当代の器量で判断しろということだと分かってはいる。いるのだが。  所長の鳴海だ。これからよろしくな。  最初に探偵社を訪れ、鳴海の前に立ち挨拶した時。監視対象をじっと見た鳴海はぱちりとひとつ瞬きして、それから人好きのする笑みを浮かべて右手を差し出した。  知識の中に握手があってもしたことの無いライドウが戸惑ううち、不自然なまでにあっさりとライドウの利き腕は鳴海の手に攫われてしまう。ぎゅっと込められた力と人肌の温みにおそれにも近い感情を抱いたのをよく覚えている。  よろしく、ライドウ。  そう繰り返して笑う鳴海がライドウと視線を合わせているのも落ち着かなかった。里では上位のものと直接顔を合わせることは無かったし、下位の者は皆頭を垂れてライドウ候補に接した。修行の間だけは例外と言えたが心身を鍛える時間に余計なことを考える隙はない。  なんの気負いも無く、他人と触れ合うのは何時ぶりだろう。  人慣れしていないのはライドウ自身も認めているところだ。事情を知って距離を取られる、もしくはこちらから接触しない生活ではそうなってしまうのも仕方のないことのはずで。  鳴海も仕事に関してだけの付き合いになるのかと思いきや、最初の握手と同じくするするとこちらの引いた線をかいくぐり、笑いかけてくる。触れてくる。酷い時にはライドウを強引に引き摺って何処かに出かけてしまう。  おかげで随分と筑土町には知り合いが増えた。デビルサマナーには全く関係ない近所の手伝いをしたり、ぐうたらと働かない鳴海の代わりに家事をしたり。里に居た頃と同じ様に無表情のままなのに、筑土町の人々は驚く程ライドウに良くしてくれる。思っても見なかった事態に戸惑って振り返れば上司は笑って頭を撫ぜるばかりで。  どうしても理解出来ず一度言葉にして訪ねれば、鳴海はそりゃお前が別嬪さんだからだろ、と所長席で煙草に火を付けながらからかうように言い放った。そうして席を立ってまでして、俯くライドウの顔を覗き込んで言うのだ。  馬ー鹿、そんなのお前が素直な良いこだからだよ。  何でもないことの様に言い、ライドウが見る限り筑土町の人々に様々な形で愛されている探偵は美味そうに紫煙を燻らせて席に戻ってしまった。  それなりに体術も鍛えている筈なのに鳴海はいつもいつもライドウの気付かないうちに近くへやって来て、そして何かしらを与えて同じ様にするりと離れていく。  やさしくされてうれしいのは当たり前なんだ。  だから。  この体質がばれて気味悪がられてやさしくしてもらえなくなるのは、嫌だ。  帝都守護に今のところ何も問題は無い。ならこのまま日々を過ごせれば良い。ただそれだけを願うライドウの後ろで、たん、と黒猫の尾が畳を打った。