向かって右側のおうちの話 鳴海が歌っている。 リビングへ足を踏み入れた途端聞こえた歌声にライドウはしばし聞き惚れた。いつも明るい声で笑っている鳴海は一人歌う事も多い。異国の歌からテレビで流れる流行のものまでとにかく何かしら歌っている。 歌いながら淀みない手付きで鍋へ調味料を加える様子を見ていると、ライドウに気づいた鳴海がちらりと視線を寄越した。もうすぐできるからな、と言われたのは汗を流しにバスルームへ向かう前の事だ。 ぱちんとウインクが送られて待っておけという合図。 ならばと飲み物だけでも用意するため冷蔵庫へ向かう。自分には冷えた麦茶と鳴海に缶ビール。遠方へ泊まり仕事の時、土産に買った陶器のタンブラーは鳴海の気に入りだ。これにライドウが注ぐだけでしあわせそうに笑ってくれる。 楽しそうな背中を眺めているとふいに歌に鳴海の言葉が混ざった。あらら、でもいいか、旋律と声の調子は変わらないのに器用に歌詞へ心情だか何だかを混ぜ込んでいる。どうやら何か調味料を入れ過ぎたようだが、いつも計量などしない鳴海のことだからうまく辻褄をあわせて美味いものに仕立ててくれるのだろう。 耳に馴染む声は心地良い。というか上手い。 部屋を満たす歌声といい匂いに目を細め、はやくこちらを向いてくれないだろうかとライドウはひっそり自分に苦笑した。 あたたかな食卓はもうすぐだ。 向かって左側のおうちの話 ジャ、と小気味いい音を立てるフライパンの中身が宙を舞う。雷堂がリビングへ足を踏み入れた時から生まれているそれはおそらく鳴海の気遣いで、香ばしい匂いに空腹が刺激される。 「もうちょっとだけ待ってくれよ」 振り返って寄越された一言に雷堂は頷き、まだ水気の残る髪をタオルで擦った。テーブルには湯気の立つ白米や汁物、いくつかの品が並んでいるから鳴海が取りかかっている炒め物が出てくれば完璧なのだろう。座って焼き鮭の皮を箸で剥ぐ雷堂へ、炒める音に混ざって小さな歌声が流れてくる。鳴海を窺えば淡々と調理を続けていて、まるで自分は歌ってなどいませんというような顔だ。 耳障りのいいそれを聞きながら雷堂は慎重に作業を続けた。うっかり聞き惚れて箸が鮭の身まで裂きそうになりながらどうにか皮を取る。脂が滲んで光るそれを鳴海の鮭に沿える頃には炒める音も聞こえなくなり、大皿へ炒め物を山と盛った鳴海がキッチンから出てきた。邪魔する物も無く届く歌声を丁寧に耳で拾いながら、雷堂は少しだけ左目を細める。仮初めの生業で歌うこともある自分より余程上手いといつも思っているのだ。想い人の愛しい声だというのを抜きにしても。 「お待たせ、食べようぜ」 与えられる言葉はどんなものでもうれしいのに歌が終わるのは残念だ。 内心で苦笑する雷堂の向かいで皿に置かれた鮭の皮を目に留めて、鳴海がうれしそうに笑った。 --------------------------------------------------------- 20090620
当代達に料理を作る鳴海さんというだけですばらしいのに…!
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