「お、雷君」 「鳴海氏」 雷堂とそのパートナーが住むマンションの横には小さな公園がある。遊具の数が少ないから近所の子供は少し先に在るグランドが併設された公園で遊んでいる事が多い。木陰にあるベンチも簡素な造りだが涼むにはちょうどよかった。車を使う時を除いて、住む部屋の場所を考えるとマンションの入り口よりも公園を通って駐車場脇の裏口から入る方が早い。早く帰ろうと今日も公園へ足を踏み入れた雷堂に手を振ったのはよく知った姿の男だった。但し想い人とは違ってその顔に眼鏡は無い。 昼というには遅い時間、こんなところで会うのは珍しい。促されるまま近づくと鳴海が側に在る自販機からカフェオレを放り投げて来た。ありがとうございます、と礼を言って隣に座る。 「相変わらずお固い呼び名なのね」 「、すみません」 「いやいや、謝って欲しいわけじゃないの。雷君らしいなあと思って」 にこにこ笑う鳴海も缶コーヒーに口をつけて喉を鳴らした。鳴海さん、と呼べない理由を鳴海も解って言っているのだから意地悪だと思う。こういうからかいにも満たないちいさなやりとりは想い人との間にはないものだからやはり違う人間なのだな、などとぼんやり考えた。 「帰りか」 「はい。貴方は」 「俺ぇ?んー、ちょっとぼんやりしてた」 答えにならない言葉も慣れたものだ。ちちち、と鳴いた雀が離れたところに二匹舞い降りて地面を啄み出した。 「相変わらず君らは忙しいみたいだな。疲れてない?」 「仕事ですから。休みがないわけではありませんし……我等よりも貴方がたの方が心配です」 「そこは素直に「鳴海さん」って言っとけよ、雷君はやさしいなあ」 ぐしゃぐしゃと帽子ごと頭を撫で回されて雷堂はすこし俯いた。想い人だけでなく目の前の男を心配する気持ちも確かに持っているけれど、正直なところそれが付け足しだということを雷堂も知っている。 横目で鳴海を窺えば、もうコーヒーを飲みきったのか缶を逆さにして滴る雫を落としていた。行儀悪く舌を出して受ける姿が見てはいけないもののような気がして視線を膝に置いた手へ戻し、帽子を深く被り直す。 「我より、あれの方が余程やさしいでしょう。上手く立ち回る男ですから」 「んー……そうね」 ライドウは優しいよ。言って鳴海は煙草に火を付けた。その声音こそがやさしいものだと雷堂は思うけれど、鳴海には違うのだろうか。ふわりふわり、紫煙が上に昇っては消えていく。 「あいつなんでも上手だしね、もうオジサンめろめろよ」 「何かありましたか」 のろける顔に影を見つけて切り込めば、鳴海は瞠目してから小さく笑った。フィルター近くまで吸われた煙草が空いた缶に落とされて濁った音を立てる。新しい煙草は既に鳴海の口に銜えられていた。 「いやちょっと喧嘩しただけ。あいつのプリン食べちゃった俺が悪いんだけどさー、仕返しに俺のマーテル全部飲みやがって…!」 はあ、と大きく溜息を付いた鳴海の手にはライターがある。皮のライターケースに描かれた模様をなんとなく眺めながら雷堂も溜め息をついた。 「食べ物の恨みは深いと言いますから。でも、帰ってその顔を見せればあれはいくらでも甘やかしてくれるでしょう。貴方も怒ったふりはやめてください」 はは、とベンチの背もたれに身を預けた鳴海が遠慮のない笑い声を上げる。 「いいなあ雷君!俺、君のそういうまっすぐなとこ好きよ。鳴海さんはしあわせものだ」 「……それは鳴海さんが判断する事です。そんな事を言っても貴方はあれがいいのでしょう」 すこし顔を赤くしたまま言えば鳴海はにやりと笑い、すっと顔を近づけて来た。 「あたり。でも雷君にも惚れちゃいそう」 言って押し当てられた唇は雷堂のそれの端でちいさく音を立てた。どちらかと言われたら頬、と言える場所を思わず手で押さえる。 「──ッ!」 「あはは顔真っ赤、だいじょーぶよこわ〜いカメラのおじさん達はいないから…って、あ、ヤバ」 突如流れた歌声は鳴海の携帯から流れているらしく、慌てた動作で鳴海がそれを開いた。聞こえていたのは先月ソロで一人ずつ出した新曲だ。相変わらずライドウのファンと大差ない行動だなと半ば呆れにも近い境地に辿り着いていた雷堂へ、鳴海がディスプレイを見せてくる。 ―――――――――――――― date:20XX/XX/XX/14:47 from:ハニーちゃん ―――――――――――――― 件名:昼飯は水菜とじゃこと トマトのパスタです ―――――――――――――― 本文: 腹が減りました。 今すぐ戻らないと鳴海さんの 分まで俺が食べます。 プリン受け取りました。あり がとうございます。お礼にコ ルドンブルーを買いたいので 買い出しについてきてくださ るとうれし ----------END----------- ―――――――――――――― 「……?」 明らかに中途半端な文章に雷堂が疑問を感じた瞬間、あからさまな怒気を感じて思わず背を振るわせた。 「あははー、見られちゃった」 視線をマンションに向けるとベランダに黒い姿が見える。普通の人間ならばただ人がいるとしかわからない距離だが、清々しい程にっこり笑うライドウの表情がわかってしまうのはどうしてだろう。ごめんね、と背後で鳴海も笑っている。 「……帰りましょう」 「うん」 鳴海の簡易灰皿と化した缶を引ったくり、自分のものとあわせて捨てる。やさしいなあなどという鳴海の言葉は無視だ。ライドウだってそれぐらいのことはしているに違いないのだから。 足早にエレベーターへ乗り込むまで鳴海はずっと黙っていた。 「我を巻き込むのは止めて頂きたい」 「ごめんごめん、つい、ね。雷君に迷惑かからないようにしとくからさ」 しておくと言われても鳴海がどうにかしてライドウの嫉妬が消えるとは思わない。しばらくは辛辣な言葉を浴びせられるのだなとこれから先を思って溜息を付けば横で鳴海も同じものを零した。 「あー、絶対苛められる…」 なんでもないように落ちた言葉に違和感を覚えて雷堂は鳴海を見た。視線に気づいた鳴海も雷堂と目を合わせてくる。首を傾げて窺ってくる動作。 「不安ですか」 「え、いや結構いつも苛められてるけ」 「あれが信じられませんか」 ぱち、と鳴海の瞬きは長い睫毛が触れて音がしそうだ。すこしだけ口を噤み、鳴海はふっと目を細めた。 「いや。俺が臆病なだけなんだ」 アナウンスが流れてエレベーターが止まる。廊下を進み、それぞれのドアの前に立ってから、鳴海がごめんなと再度呟いた。どこからが鳴海の戦略だか知らないが、目の前の男の思うように事態は進んでいるのだろう。無駄に怒りや嫉妬といった負の感情を煽られているライドウを哀れに思っても良いのか判断がつかないまま、とりあえず雷堂は思った事を告げる。 「貴方の考える事は我には理解できません。ただ、言わせてもらえば、あれが我と同じ存在なら。……鳴海氏の不安は無意味だ」 「うん。君のそういうとこ俺たちには真似できないからなあ。変なとこ似てんだよ。一緒に住んでりゃ似てくるのかね。はは、雷君やっぱ男前だわ、かっこいい」 「あれにめろめろなくせにそういうことは言わないで下さい」 「そりゃそうよー、うちの…俺のライドウちゃんだもの」 でも惚れちゃいそうも本気。 ありがとな。 今度こそ唇に落とされたキスは触れるだけのものだ。 「――ッ!!」 顔を真っ赤にして何も言えない雷堂へ、鳴海は自らの唇へ人差し指を当てると口だけでこれナイショね、と言って笑った。 「んじゃまたな。ライドウちゃんたっだいまーあ」 ひらりと手を振ってドアの向こうへ消えた鳴海はライドウから見ればいつもと変わりないのだろう。ライドウだから見せられない弱さを、見せてもらったと考えていいのだろうか。 「只今戻りました」 「おかえり」 ドアを開け、赤くなった顔を見られたくなくて出迎えてくれた想い人にぎゅっとしがみつく。何も言わない雷堂を目の前の鳴海がどう思ったのか、優しく背を撫ぜてくれた。壁越しに隣家からは何か騒がしい物音が聞こえてくるのが邪魔と言えば邪魔だが、今はこうしていたい。 「…なんか鳴海氏んとこ暴れてるな…だからかな、あっちのゴウトちゃんが遊びに来てるんだけど。雷堂お腹空いた?なんか食べる?」 「ああ。もらう」 言って身体を離し際に口付ければ、きょとんとした瞳が雷堂を迎えてくれた。すぐにくるりと回って廊下を進む鳴海の何だよ珍しいというその耳が赤い。 目の前のひとと自分と。 隣家のふたりと。 たぶん形は違うけれど等しくしあわせだと思いたい。 想い人を追いかけながら、雷堂は今日できた秘密をそっと胸へしまい込んだ。 --------------------------------------------------------- 20090608
悪い鳴海さんというか、おそらく雷堂に対しては「かわいい」だけ。
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