目が覚めるとすぐ近くに綺麗な顔があった。 右目の上を走る傷を眺め、顔を横切る傷を眺め、長い睫毛を眺めてああ雷堂だな、と思う。こちらの身体を抱き込んだまま眠る少年の寝息は穏やかだ。 そうか、雷堂の部屋でそのまま眠ったんだったな。 まだぼんやりと霞がかる意識の中で思い返した。覚醒すれば触れている自分以外の体温がはっきり感じられて心地良い。乾いた肌の擦れる感触はどうしてこうも安心するのだろう。 「……」 身じろいでも少年が目覚める気配は無い。身体から遠ざかっていく夢の名残をどうにかつなぎ止めて雷堂の胸元に額を擦り付ける。夢は過去の断片を気まぐれにこちらへ与え、感情だけを植え付けて去ってしまう。 一度かるく目を瞑ってから瞼を持ち上げ、雷堂を見る。あたしは誰だったっけ。このこは雷堂だ。あたしは。揺蕩う思考の底からゆらゆら上がってきたのは少年の声で、どこかに辿り着いてぱちんとはじけた。──鳴海。 「……あぁ」 そうだな、あたしは鳴海だ。お前はこの夜に、いや今までに、何度呼んでくれたんだろう。どこか浮ついた頭で考えていると目尻から耳の辺りまで感触が伝った。 「……、はは」 指先で拭うと動いた抱き枕に反応したのか雷堂が小さく唸り、腕の力を一度強めて次第に弛緩していった。寄った眉に指を当てれば憤る幼子のように頭を枕に擦り付けている。かわいいなぁ、と思ったところで涙がもう一雫流れて最後には枕へ吸い込まれていった。しばらく忘れていたけれどこいつはあたしを泣かせる存在に違いない。 とても簡単にやってくるのは好きという感情だ。 涙が乾いたあたりで口にしたのは単なる思い付き。 あたしには一番の言葉だったけど。お前は受け取ってくれるかな。 「……雷堂、綾、だいすき。ありがとな」 それはもう心からの本音だ。零した途端に赤くなっていく肌を見てしまえば堪えきれなくなって思わず喉を鳴らす。くつくつ笑っていると染まる頬を自覚したのか雷堂が真っ直ぐな視線を向けて来た。 「くく、は、何、もう寝たフリはおしまい?」 「……気づかれているのに続けても仕方ないだろうが」 「そだな」 こちらの癖毛を何度か掻き回し、おはようございますと呟いて雷堂は布団を抜け出してしまった。まだ太陽は顔を出していないようだが起きてしまえば朝なのだろう。はよ、と返して広くなった布団で背伸びをひとつ。身体を起こす頃には布擦れの音が止み、浴衣をきっちり身に付け終えた雷堂がこちらを見下ろしていた。 「鳴海さん」 差し出されたというよりは伸ばした手のひらに当てられた、という方が正しいか。眼鏡を受け取って礼を言う。煙草を手繰り寄せて火を灯していると雷堂が背を向けて部屋を出て行ってしまった。多分水か何かを持って来ようとしているんだろう、少年の気遣いは寝起きの身体に有り難いものだ。色んな加減を含めて慣れたなあというか、いい男になったなあ、などと親のような感想を持った。本当に親なら知るはずもないことなのだが。 そろそろ少年とは言い難い。いや、本当はもっとずっと前から。少年が男だとわかっているからこそ、抱かれたいと思うのだし。 「どうかしたのか」 戻って来た雷堂はぬるい茶で満ちたグラスをこちらに渡すと、続く動作で床に投げてあった浴衣を拾って剥き出しの肩にかけてくれた。突然の告白めいた言葉や涙を、気にはしても聞かないでくれるのは真っ直ぐな雷堂が持つ気遣いのひとつなんだろう。いつか話してくれるならそれでいいと、いつかが来ないかもしれないと承知していても思ってくれているのが容易く知れる。 ああ好きだな。世の中は矛盾に満ちて混沌としているのに、感情そのものはこんなに単純に出来ている。 「ん」 煙を吐き出す口の端を持ち上げる。雷堂は黒い瞳で真っ直ぐにこちらを見ている。 話さないと決めてしまったことも沢山あるんだけど。 ほんのちょっとだけでもお前にあたしをあげたいから。 鳴海を、あたしを望んでくれるというのなら。 「雷堂」 |
「こっち来てぎゅっとして、」
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そんでほんのちょっとばかりお前の時間をあたしにくれるなら、 すごくしあわせなんだ。 --------------------------------------------------------- 20100311
こんな話でした。
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