今日は冷えるな、と雷堂が呟いたのは夕食を終えた頃だった。 昼間は暑いと言えるぐらいの陽気がしばらく続いていたのに突然の雨が帝都を冷やしてしまったらしい。さあさあと外から僅かに聞こえる雨の音を聞きながら風呂から戻った鳴海は、自分のベッドに出来ている山を眺めてぼんやり考えた。 今日は冷えるな、と雷堂が呟いた。それに自分は何と返したのだったか。ああ、そうだ、あったかくして寝なさいねと言ったのだ。風邪を引いてはいけないからとも付け加えた。一応覚えている。 さてどうしよう。 穏やかな寝息まで聞こえるこの空間は自室だというのにまるで自分が闖入者のようにさえ思える。事務所まで戻ってソファで寝ても良いけれど、少年に指示しておいて自分が風邪を引くという事態は避けたい。そもそも少年が傷付くのは想像に難くない。 聞こえないように溜息をひとつ。 そっと布団を持ち上げて隙間へ身体を滑り込ませる。とりあえずの気遣いを見せたのか壁際へ寄っていた少年に温められた空気が肌に心地よかった。今日は冷える、というのは間違いのない事実だ。 「で、これは夜這いなのかな」 「……違う」 頭を撫ぜながら問えば雷堂の瞼がゆっくり持ち上がり、機嫌の悪そうな声が静かな室内の空気に溶けた。さあさあと雨の音が窓から滲んでいる。 「冷える、と我が言った時」 「うん」 「あたたかくして寝ろと言っただろう」 雷堂の髪は短いが真っすぐで指通りが良い。 「我のより鳴海の布団があたたかい」 言われた言葉に整頓された雷堂の部屋で折り畳まれた布団とその隙間に挟まって眠る黒猫を想像して、鳴海はそっと笑った。主のいない寝具で猫はゆったりと微睡んでいるのだろう。時折ぴくぴくと髭をふるわせながら。 「そっか」 自分ではない体温こそが何よりもあたたかいのにそれを言わない少年は、それなりに勇気を振り絞って鳴海のベッドへ潜り込んだに違いない。からかえばすぐ赤くなる耳は暗闇で見えないけれど、今も染まっているのだろうなとぼんやり考える。そういうところはかわいくてかわいくて仕方ない。 「雷堂がいればあったかいしな」 軽く引き寄せた身体の熱に懐いてみせると、すこしばかり時間を置いて雷堂が身じろいだ。触れ合う事を嫌がっている様子はない。雷堂の腕は鳴海に引っかかっているし額を擦り付ければゆるく抱かれた。なのに不自然ではない態を装って遠ざかった腰に、ああ、と思う。 喉を鳴らしてはかわいそうだとどうにか堪えてもっと強く身体を押し付けた。さああ、風が出たのか雨が窓に当たって波のような音を立てる。 さてどうしよう。 布団の中はちょうどよくあたたまっていてかわいい存在も側にいて、聞こえる音は耳にやさしい。どうしたいかと問われたなら迷わず眠りたいと答えてしまうのだけれど。 「雷堂」 「……なんだ」 「明日も雨かな」 す、と指を肩に滑らせる。寝間着の薄い布越しにも筋肉のなだらかな線が解って、また少し逞しくなったな、なんて感想を持つ。空いた時間を鍛錬にしかあてない書生を引きずり回す所長の姿は筑土町では珍しくなくなってしまった。 「どうだろうか」 身体を僅かに振るわせた雷堂が声音は変えないまま答えた。誰に咎められるわけでもないのに交わす言葉はひそやかだ。 「業斗は顔を洗っていなかったが」 「はは」 滅多に言わない冗談を口にした雷堂へ今度こそ遠慮なく笑い、鳴海はさらに指を進ませる。少年がこの時間をしあわせだと思ってくれているならそれに越したことはない。悪戯に返ってくる反応よりも鳴海にはそんなことが重要で、くつくつ喉を鳴らしていると雷堂の口から名前が聞こえた。 「……そんなふうに、」 鎖骨の窪みへ指先を沈ませた辺りで湿った声が零れる。鳴海はそっと唇を押し当てて言葉を防いだ。 「されると」 「ん。いい?」 言いながら抱きつけば途端に熱の上がった身体が鳴海を抱き返し、一度だけ首を縦に動かした。擦り付けられる黒髪とその反応をくすぐったいと思いながら呟く。 「ありがと」 ちいさな声は想い人の耳へちゃんと届いただろうか。 どちらでも鳴海にはかまわない。 さあああ、また聞こえてくる雨の音。冷えると思ったのがもう随分前のことに感じられるのは今があたたかいからだ。 やがて聞こえなくなるだろう雨の音がすこしだけ惜しくて耳にとどめ、そのまま鳴海は雷堂を抱く手に力を込めた。 --------------------------------------------------------- 20090606〜0709拍手御礼
薄暗くてすみません…いずれちゃんと書けたらいいな。
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