「おっまったっせ〜」
 笑いを含んだ声と衝撃が背中にひたりと貼り付いて、雷堂は只でさえ真っすぐに伸ばしている背を仰け反らせた。悲鳴を上げなかっただけでも上出来だ。
「はい、おみやげ」
 勢い良く振り向けばサイダーの瓶を頬に当てられる。痛い程冷えたそれが衝撃の正体か、と漸く理解し、与えられた甘味に口の端を持ち上げたところで鳴海の姿に固まる。
「……ありがとうございま、す」
「いやいや待たせちまったし。しっかしお前は何着ても男前だな、もー鳴海サンどきどきよ」
 祭行くぞこんな暑いんだから楽しまないとやってられない。
 通り雨の降った夕方。雷堂に風呂敷包みを渡しながらそう笑った鳴海は同じ建物に住んでいるというのにデェトなんだから、と待ち合わせの場所と時刻を指定してどこかに消えてしまった。確かに多聞天を中心に祭が開かれる日ではあったし質問や拒否は雷堂に与えられなかったから、大人しく渡された浴衣を身に着けて出かけるしかない。墨色に近い濃紺へ単純な模様が並ぶ生地は決して派手ではなく、まあこれならば、と振り回される事にもいい加減慣れた雷堂は浴衣を身に着けて鳴海を待っていた。
 少しばかり遅刻した鳴海も浴衣姿で、暗い深緑の上で金糸雀色をした大輪の花が所々咲き綻び、花の周囲は深緑に濃淡が付けられて花が浮き上がるように見えた。長いとは言えない髪をどう纏めたのか項をのぞかせている。普段晒されることのない肌の白さは布との対比で透けるようだ。祭の熱気に煽られたのかほんの少し色づいてもいる。色づいて、としばし無言のまま見惚れてから雷堂は気づいた。
「……飲んできたのか」
「あ、ばれた?サイダー買ってたらおっちゃん達に捕まって、さ」
 鳴海の顔は広く筑土町では特に顕著で、出歩けば行きつけの店主や長屋の住人達に必ず声をかけられる。屋台の端に設けられた御座にはすっかり出来上がった人々も多かったから、まあ一杯と付き合わされたのだろう。
「駆け付け一杯だけだって。んな怖い顔すんなよ色男」
 雷堂の背中を手のひらで叩き、鳴海は楽しそうに笑って巾着をくるくる回した。夜になってもまだ薄明るかった空がだんだんと暗さを増していくにつれて祭を楽しむ人の数も増えてくる。屋台を素見しながら進むうちに見慣れた顔ばかりが並び出した。どうやら商店街の主達が出している屋台の区域に来たらしい。
「お、鳴海さんどしたの別嬪さんみたいな格好して!ほらこれ食ってけ、今なら母ちゃんあっち向いてるから二本ぐらい無くなってもわかんないぞ」
 笑いながら串を差し出して来た坊主頭の店主の横では着物に襷をかけた細君が同じ顔で笑っている。礼を言って受け取る雷堂へちらりと視線を寄越してから鳴海は眉を寄せた。
「別嬪さんみたいって何「みたい」って!そこは素直に別嬪さんって言ってくれよおじさん」
「だってもっと別嬪さんが横に居るからなあ」
「うーん、それは否定できないんだよな」
 わはは、店主と細君と鳴海の笑い声が重なる。雷堂は何を言っていいのかわからず学帽の鍔を下げた。自分の串を口に運ぶぐらいしか出来る事が思いつかない。
「お、美味いなー流石おじさんお手製!このタレがまた…いいねえ、祭の夜だ」
「美少年侍らかしてな。うらやましいねえ」
「麗しの弓月の君引き連れて?あはは、いーでしょ。美味いもん食ってるし最高だ。二人ともありがとうございます、また店に行きますよ」
 手を振る鳴海の横で雷堂も頭を下げ、また祭を進む。雷堂を連れた鳴海にかかる声は多く、特に財布を取り出すこともないまま様々なものを手に入れた。からかいの言葉を受け流す鳴海の側で、あまり歓迎できない感情が澱になって心の底に積もるのを感じて雷堂は一度首を振った。手荷物が増えたしもう帰ろうということになって漸く口にするのは我ながら情けないが。
「ん?どうした雷堂、これ食べ──うおっ」
 鳴海の腰に手を回してぐっと引き寄せれば、細長い身体は簡単に雷堂へ凭れ掛かった。食べかけの菓子を手に持ったまま見上げてくる鳴海はぱちぱちと目を瞬かせている。
「その、最初に言い忘れたのだが」
「ん」
「……その。きれいだ」
 鳴海さんは『別嬪さん』だと我は思う。
 綺麗だと思うのも本音として、どうせならかわいらしいと言ってしまいたかったけれどそこは照れに負けた。鳴海は最初にデェトだと言ったしそのつもりなのだろう。ただ気のいい知人達は相変わらず鳴海が雷堂を連れ回しているとしか思わなかったようだし、鳴海もそんな発言を否定しなかった。小さな苛立ちを抱えたままの夜は楽しいけれど楽しくない。己が頼りないからだと言われたらそれまでで、否定も出来ないのだけれど。
 でも、間違いなく鳴海は想い人で恋人なのだから。
「……、はは、ありがと。やばい照れる」
 眉を下げて笑った鳴海が腰を抱かれたまま雷堂の腕に手を回した。肘の内側あたりを掴んで頭を預けてくる鳴海の、眼鏡の弦が腕にあたってそこだけ固い感触を布地越しに知る。
 祭の喧噪はまだ賑やかに背後で響いていて、進む小道に人影は少ない。
 どうせ首まで赤くなっているのは鳴海に気づかれているのだ。些か開き直ったまま、雷堂はくつくつ笑う鳴海を離さずに帰路を辿った。





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20090709〜0904拍手御礼

久々に書いてて恥ずかしいと思った!
雷堂さんは超越モードに入るときっとさらっと言うと思う。