蒸し暑いのに風が強かった。太陽が山向こうに隠れてから降った雨は水の気配を空気に濃く残したけれど暑さはどこかへ連れて行ってしまったようで、窓から入る未だ強めの風が暗い寝室をそれなりに冷やしてくれている。
「花火が見たいな」
 長身をベッドに横たわらせた鳴海がそんなことを言って紫煙を吐き出した。橙色のランプが筋肉の陰影を肌に浮かばせるのを眺めていた雷堂は、身を捩って仰向けになるとひとつ息を吐く。
「筑土町で花火があがると聞いた事は無いぞ」
「そうだろうな。でも盆過ぎあたりには川沿いであるんだぜ、それなりに露店も出る」
 あんまり暇してると手伝いに駆り出されるんだ。流石の俺でもああいうおじちゃんおばちゃんの勢いには勝てないね。
 いつの夏を思い返しているのか、鳴海は口の端を持ち上げて言うと煙草を灰皿に押し付けた。腹辺りにだけ布をかけて鳴海も仰向けになる。
「ちょっと湿気てる気もするけど、裸で眠れるのはありがたいな」
 乾いた皮膚にシーツが触れる感触は確かに心地良い。そんなことを上司から教わっているのだからうれしいと思っている自分ごとどうしようもないのだ。
「この雨が終わったら暑いばっかりになるんだろうなあ」
 開け放した窓の向こう、切り取られた夜の空でいくつかの星がまたたいていた。帝都の広い空に咲く光の華はさぞかし綺麗な事だろう。里の空は茂る木々の合間に見た記憶の方がまだ多い。空など気にした事もなかったというのが実際のところだ。
「花火か……」
「うん、花火」
「紅蓮属の炎なら我でも見せられるのだが」
 それはまた別物なのだろうな。
 思ったまま零した言葉に鳴海が雷堂を振り向き目を見開いた間抜け顔を晒した。見たいと言うなら見せてやりたかったが火薬を操る術を雷堂は持たないし、持っていたとしても環境や様々な要因で鳴海に花火を見せるのは叶わないだろう。代案にもならない考えをそれでも口に出したのは、雷堂が鳴海の願いを叶えたいと思っている事を伝えたかったのかもしれない。悪魔を見聞き出来る鳴海なら可能だからな、と言ってしまってから雷堂は自らの行動を分析した。
 ふ、と鳴海の唇が歪んだと思ったら枕に突っ伏してしまった。小刻みに揺れる肩はおそらく笑っているのだろう。くくく、と押し殺した声が聞こえる。
「鳴海」
「いやごめん、ふ、ありがとな雷堂。ああどうしよ、俺、今ものすごくしあわせかもしれない」
 顔を上げ笑顔を向けた鳴海は手を伸ばして雷堂の黒髪をがしがしと掻き回した。少し痛いぐらいの感触が気持ちよくて雷堂は目を閉じる。ひとしきり髪を乱し切った鳴海の指が離れるのと同時に、顔を走る二つの線それぞれにやわらかい温度が押し当てられてゆっくり瞼を持ち上げる。
「うん、ありがとう。花火はそん時になったら見に行こうぜ。露店に甘味も出るしきっとお前も気に入ると思う」
 笑う鳴海の位置は目を閉じる前と全く変わっていなかった。与えられた感触はひょっとしたら気のせいだったのかもしれない。それとも雷堂自身の願望だろうか。
「甘味か」
「そうそう、結構何でもあるんだよ。健三さんとこの若いのが毎年どんどん焼きの屋台だしててさ、あれ結構美味いんだよなあ。祭の食べ物ってたいしたことないはずなのになんであんな美味いんだろ」
 鳴海の笑い皺を見ながら、雷堂はなんとなく鳴海は自身の疑問に対する答えを既に持っているのではないかと思った。
「それは食べた事が無い」
「ほんとか?お前買い食いとかしてないみたいだもんな。ああ、大学芋は別だけど」
「……」
「むくれるなって!好物があるってのはいい事なんだから。じゃあ祭の時にはいろいろ買ってみるか。食べながら花火を見ればいい」
「ああ」
 楽しみだ。雷堂に言うではなく呟いた鳴海はごそごそとおさまりのいい位置を探るとそのまま寝入ってしまったようだった。もう夜は深く、どちらかと言えば朝を手繰り寄せる方が近い。朝起きるのが遅い鳴海とはいえそれなりの運動まですれば眠くて当然だろう。
 すうすうと聞こえる寝息はどこか幼い。
 一回り以上年上の男へ持った感想に苦笑し、雷堂も身体を休めるために目を閉じた。しかしすぐ後に思い立って視界を取り戻す。
「なるみ」
 ちいさく囁いても男から返答は無かった。ベッドを軋ませないように気を使いながら腕を伸ばしてランプを消す。光に目が慣らされていた事もあって真っ暗になってしまった視界の中でそろりそろりと身体を戻し、途中で記憶の中にある癖毛の位置へ顔を運んだ。
 シーツに散った一房に唇を押し当ててから枕に頭を埋める。気づかれていてもいなくてもどちらでもかまわない。したかったからしただけだ。
 瞼の裏に光の華を描き、暗闇の中で雷堂はひそやかに笑った。





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20090709〜0904拍手御礼

雷堂さんはちょっとばかり天然でもいいと思ってます。
そしてナルミさんに裸シーツは卑猥。(雷堂もだけど)