「ん」
 微睡んでいるようだから、となるべく音を立てないように気を使っても無駄だったらしい。半目の瞳が曖昧な焦点で雷堂をとらえ、伸びた腕に軽く羽織った浴衣の裾を掴まれた。
「雷、堂?何処に」
「部屋に戻る。そのまま寝ておけ」
 くしゃりと癖毛を掻き回しても浴衣に絡んだ鳴海の指はほどけない。とりあえず寝台に腰掛けると気怠げな欠伸が聞こえた。
「そりゃあちょっと味気なさ過ぎるんじゃないですかね、雷堂ちゃん」
「……。我としてもこのまま眠りたいが課題を忘れていたのだ。本を読まねばならん」
「へぇ」
 眼鏡を手繰り寄せようとして俯せる鳴海の動きに、シーツが乱れて痕の残る肌を覗かせる。雷堂は僅かに頬を染めてどうしても見てしまうそこから視線を逃がした。橙色のランプだけが光源だから赤くなったことは気付かれないはずだが、自分が為したこととはいえあまりじろじろ眺めるのもどうかと思う。
 少々手間取る依頼に奔走したこの数日は、もちろん学校に通うことが出来なかった。ついでに言えば恋人らしい時間も取れず過ぎ去り、色々を片付けた晩、鳴海の誘いを受けて睦んだって仕方が無いはずだ。明日は学校に行けそうだと予想出来た辺りで課題のことを思い出してはいたが、依頼遂行からこの夜の入り口まではあっという間に過ぎた。過ぎた上で、課題よりも鳴海を抱くことを選んだのは雷堂なので自業自得というべきか。
 数式やその場での読解ならともかく、読んだことの無い指定図書をただ読んで来いという課題には時間を裂いて応えるしか無い。
「離してくれ」
「ほんとお前は真面目だね……うーん」
 しばらく唸った後で鳴海の手は離れ、ありがたいと思うのと同時にすこし寂しくなった。自らが頼んだことなのに情けないと苦笑して立ち上がれば追って鳴海も寝台から出てくる。
「鳴海さん?」
「あたしも行く」
「な」
 固まる雷堂の横で鳴海は床に落としていた浴衣を雑に着込み、煙草の箱を掴んで扉に足を向けた。あ、結構寒いな、などと呟いて。
「気遣うな」
 先の依頼で疲弊したのは鳴海も同じだ。そのことは部下である雷堂が誰よりも分かっているつもりだし、望まれたとしてもさらに消耗させた負い目があった。離れ難いと思うのは確かだけれど気遣われたくない。
「馬ぁ鹿。お前だけだと思うなよ」
 そんな雷堂を尻目に、想い人はけらけら笑って廊下に出ると雷堂の部屋へ向かってしまった。言葉の意味を幾度か反芻して漸く理解し、慌てて追いかければ室内で鳴海が既に布団を敷いている。
「鳴海さん」
「ほれ、お前はここな」
 急かされて文机に置いていた本を手に取り、布団に胡座をかけば組んだ足の上に癖毛が載せられてごそごそ動く。上手くおさまる場所を探しているらしい動きをぼんやり眺め、そして内心だけで笑うと雷堂は薄い掛け布団に腕を伸ばした。座ったままでばさりと広げて鳴海を覆ってやる。
「ありがと、……」
 眼鏡を奪って机上に置くと、何事か呟いて鳴海は寝入ってしまったようだ。夜は深過ぎるわけではないが浅くもない。その疲労を思えばさぞかし眠かったことだろう。
 ぱらり、雷堂は最初の頁を捲ると空いた手で鳴海の頭を撫ぜた。ゆるやかな動きに僅かな呻き声が聞こえて幾度か足に頭が擦り付けられる。むずかる幼子のような仕草に口の端を持ち上げ、文字の羅列を文章として頭に仕舞い込む作業を繰り返した。触れている指先は癖毛に潜り込んで遊んでいる。
 明日も早い。早く寝よう。読んでしまえば課題は終わる。
 そうして想い人を腕に抱き、貪る眠りは得難い幸福に違いない。

 すこし冷えた空気のおかげで先頃より触れる体温は明確だ。酷く愛しいそれを求め、課題を終えた雷堂は本を枕元に置いたまま布団に潜り込み、想い人を抱き込んで暖をとった。




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20090904〜1128拍手御礼

胡座枕が好きでして。
あいかわらずこのひとたち恥ずかしい。