Sah ein Knab’ein Röslein steh’n,
 Röslein auf der Heiden,

「只今帰りました。……鳴海さん?」
「あ、おかえりー」
 窓辺に立つ鳴海がライドウをみてゆるりと笑った。所長席と同じぐらい彼の定位置であるそこはもちろん日当りもよく、全開の窓からはおだやかな風が入り口のライドウまで辿り着いてひっそりと頬を撫ぜる。
「お前が帰ってきたならお茶にしようか。こないだ貰ったお菓子を出そう。ゴウトはミルクでよろしい?」
『ご相伴に預かろうか』
「んじゃ砂糖も入れますかね」
 鳴海の耳にはゴウトの声は鳴き声にしか聞こえないはずだが、こうして会話が成り立つのは珍しくない。言語だけが交流の手段ではないとはいえ不思議なものだ、と思いながらライドウは外出用の装備を解いた。
「俺がやります。……鳴海さん、なにか歌っていましたか」
「へ、聞こえてた?」
「微かにですが」
「あらやだ恥ずかしー」
 芝居がかった動作で頬に手を当てた鳴海はよろしくね、と言いながらまた窓の外を見下ろしていた。ライドウの定位置とは真逆にあるそこから見下ろす風景を鳴海は好んでいるらしい。同じ景色を見たことは殆どないから、ライドウにはその良さがあまりわからないけれど。

 Sah ein Knab’ein Röslein steh’n,
 Röslein auf der Heiden,
 war so jung und morgen schön,
 lief er schnell, es nah zu seh’n,
 sah's mit vielen Freuden.
 Röslein, Röslein, Röslein rot,
 Röslein auf der Heiden.

「独逸語ですか。お上手ですね」
「んーまあ若い頃住んでたしね。ちょっとの間だったけど」
「それは…初耳です」
「そだっけ?結構洋行してんのよ俺。外国語なら聞きにこいって言っただろ」
『普段のお前を見ていればただの西洋かぶれと思われても文句は言えんぞ』
 聞こえないからかなんとなく非難されていることはわかっていて流しているのか、鳴海はぽんぽんとゴウトの背を叩いてから珈琲を受け取った。ありがとう、の言葉にライドウが学帽の鍔を引く。
「懐かしいな。今のお前程じゃないけど俺も若くてさ、すんごい美人に惚れたりしてて。懐かしいなあ」

 Knabe sprach: ich breche dich,
 Röslein auf der Heiden!
 Röslein sprach: ich steche dich,
 daß du ewig denkst an mich,
 und ich will's nicht leiden.
 Röslein, Röslein, Röslein rot,
 Röslein auf der Heiden.

『美人などと』
「あ、ゴウト疑ってるだろう。ほんとなんだから信じろよな!まあ確かに現在は独身貴族ですけどね、俺は」
「俺は疑ってません。そんな風に綺麗に歌っていたなら鳴海さんを慕う女性も多かったと思いますし」
「きゃーライドウちゃんったらいいコ!でもそんな真顔で言わないで、おじさん照れちゃうからね」
 しゅ、と音がしていつのまにか煙草を銜えていた鳴海が火を灯す。一口目を美味そうに呑む様子はライドウにも見慣れたものだ。
「意味を教えて頂けますか」
「ん、簡単だからまずは自分で調べてみな。詩だし」

 Röslein, Röslein, Röslein rot,
 Röslein auf der Heiden.

 口の中で単語を転がすライドウを見て、鳴海はふわ、と笑う。
 視線に気づいたライドウの目から逃れるように窓の外へ頭を逃がすと、煙草の煙を風が攫っていく。いい天気だ。

「ま。どっちにしろ、『俺』は記憶に残さんよ」

 煙とともに吐いた言葉も空に舞った。



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20090404〜0509拍手御礼

詩はゲーテの「野ばら」から。旋律はシューベルトでもウェルナーでも。
二番に萌え萌えしたので使用してみました(…)エセ和訳は↓な感じで
 こどもは言いました「折ってもいい?」と
 野ばらは言いました「なら棘を刺すよ」と
 そしたらわすれないでしょう
 わたしはそれでいいのだから
 野に咲くばらは言いました