は、と濡れた息を零したのを耳聡く聞きつけたのか、首筋に顔を埋めていたライドウがこちらと視線を合わせてきた。乱れた癖毛を梳く指先の心地良さに目を閉じる。そのまま頬を滑る手のひらに懐いているとぞっとする声が落ちてくる。
「──いいですか」
 いいも何も、鳴海の身体に生まれた熱はもうどうしようもないほどになってしまっているし、自らそれを成した少年がそれに気づいていないはずはないのだ。覆い被さるライドウの肌も熱い。見下ろす瞳が僅かに潤んでいて、ああきれいだなあと鳴海は頭のどこかでそんな感想を漏らした。
 ずるい。
 すこしばかり悔しくなって目の前の少年を睨みつける。了承の言葉を待つばかりのライドウは何故厳しい視線を向けられているのかわからないらしく僅かに首を傾げた。ああもう、わからないお前が一番ずるい。

 夕食の後は何をするでもないゆったりとした時間で、事務所は簡易的な居間に様変わりする。所長席で行儀悪く机の上に足を組み、酒を舐めていればゴウトが近づいてにゃんと啼くので鳴海は平皿にそれを分けてやった。
「しかしおっそろしい量を飲むよなあゴウトちゃん…お前さんの身体でそれだけって、俺だったらバケツでがぶがぶ飲むのと変わらないんじゃないの?」
「にゃあ」
「…なんか開き直ってないか」
 文句を言いながらも奇妙な宴は鳴海の手が酒を注ぐ間だけ続けられる。こうなりゃいっそ酒盛りだ、と摘みを仕立てて舌鼓を打つ。近所で貰った漬け物は胡瓜が美味い。高菜と紫蘇の葉を交互に盛り、薄い昆布で巻いたちょっとした凝りものは一口大に切れば断面がなんともうつくしい。こんなのがいただけるとは美丈夫の書生様々だ、と鳴海はまた一つそれを口に放り込んだ。ゴウトは漬け物を少しばかり齧った後は干物の身にかしかしと歯を立てている。
 別に塩だけでも飲めるけれど、むしろ塩がなくても飲めるけど。美味いもんがあるに越した事はない、と鳴海は常々思っている。どうでもいい話をぽつぽつと零し、相槌なのかなんなのかよくわからないゴウトの鳴き声や尻尾を意識の片隅で捉えながら酒を飲んだ。
「ん」
「なう」
 廊下の気配に二人ともが顔を上げる。ちらりと鳴海を見たゴウトが甘えた声で一啼きすると平皿を鼻先で押しやりひらりと飛び降りた。ととと、と駆ける小さな身体は現われたライドウの足をすり抜けてどこかへ行ってしまう。
「ゴウトちゃん」
「出かけると言っていました。……部屋が酒臭い、です」
「んー、ごめんごめん」
 言いながら鳴海は背後の窓を開けた。湿った夜風が隙間からするりと室内に入り込む。
「ゴウトちゃんが付き合ってくれたから酒盛りしてた」
「みたいですね」
 酒も瓶に僅かだけになった。無精してそのまま口をつけて大きく傾ければ、ふたつ喉を鳴らす程度で中身は空になってしまう。
「っは」
 うまい酒であればあるほど酔えば水に近くなるものだ。喉を焼いたアルコールが内臓へ熱さをもたらし、感覚に逆らわず鳴海は息を吐いた。つかつかと近寄って来たライドウは手にしていた洋書を机に置いて鳴海の横へ立つ。
「なんか質問あったの」
「ええ。意味が分からないところがあったので教えて頂こうと思ったのですが、酔っているなら止めておきます」
「いいよ別に。もう酒なくなっちゃったし、これぐらいで酔っぱらってないって」
 するりと白い指先が鳴海のネクタイに触れた。どうせゴウトしかいないから、とゆるめたのはほんの数分前のことだ。覗き込めば見えてしまう位置にある痕などとっくの昔に忘れてしまっていたのが本音のところで。
 昼ならだらしがないと綺麗な眉を寄せて形を整えてくれる指が、明確な意図を持ってネクタイをほどく。
「鳴海さん」
 躊躇いのないくちづけを与えられながら、おやまァ今度は何がこの少年のスイッチを押してしまったのかね、とぼんやり考える。ゴウトへの嫉妬かはたまた酒を飲む己にか、ゆるんだネクタイにか。こんな男を抱きたいというだけあって少年が切り替わるポイントが鳴海にはいまいち理解できないが、ひとつだけはっきりしていることがある。
 少年の情欲が鳴海を容易く溶かすということだ。

「……ずるい」
「え?」
 睨んだまま口の中で転がした言葉は我ながらなんとも甘い。まっすぐさと勢い、陳腐な言葉で表現すれば若さだなんてものでこちらを翻弄してくれる少年が、自らの卑怯さに気づく事はないのだろう。今の少年にとっては卑怯なものではないのだ。きっと、もっともっと先で振り返って、初めてそういう名前をつける事が出来るものだから。
 もう戻れないところまで連れて来てからそんな風に聞かないで。
「んーん。な、ライドウ」
 無知の罪は咎めない。まだ知らないままでもいて欲しいからだ。矛盾していると誰より鳴海が理解しているそれをどこか遠くに押しやって、ライドウの首へ腕を回した。
「俺の部屋行こっか。……そんでさ」
 はい、と律儀に答えた少年は時折こちらへ悪戯しながら言葉の続きを待っている。了承代わりの返答に満足したのか口元に浮かぶ笑みをかわいいなと思った。
「そんでさ、いっぱい、さわって」

 言葉は鳴海の本音でしかないのだけれど、どうやらまた自分はライドウのスイッチを押してしまったらしい。
 その場へ押し倒された時点で部屋への移動を諦め、鳴海はちょっとだけ笑った。

 



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20090606〜0709拍手御礼

基本的に鳴海さんは拒まない。拒めない?
ライドウはもう特権行使しまくりでいいと思ってます。