「誰だ」
 地下造船所の淀んだ瘴気をそれでも切り裂くような一筋の声。低いそれが誰のものか理解する前に張り詰めた空気がゆるみ、ほう、と溜息が聞こえる。探し求めていた想い人はこちらに照準を正しく定めた銃を下ろし、それから力なく笑った。
「雷堂か。またそんな傷こさえて……無事で良かった、けど」
 押さえている左腕は深く傷付けられたのか、布で縛っているが血が滲んで染まっている部分の方が広い。薄暗いこの場でもそうと分かる程顔色が悪いのは失血のためか。それでも笑う鳴海を見て雷堂の気が弛んだのも確かだったが、零れた言葉にあっさり我を忘れた。
「良い子で待っとけって書いといただろ」
「戯れ言をぬかすなこの馬鹿女が!」
 一度爆発した感情は勢いのままに言葉を口から滑らせる。ぱち、と鳴海がまばたきを繰り返し間抜けな面を晒した。
「我は貴様が好きだと言ったはずだ、傷付けたくない守りたいと思うのは当然だろうが!何故そんなこともわからない!……それほど宗像が気になるか!」
「ッざけんな糞餓鬼」
 びり、と空気が張り詰める。眼鏡の向こうに絶対零度の瞳を見つけて雷堂は息を飲んだ。懐かしいとも言える感覚のままそれでも鳴海から視線を逸らさず対峙する。以前は動けなかった。今は動かない、だ。そう思いたい。
 長いのか短いのかわからない時が過ぎ、やがてその場の均衡を破ったのは鳴海だった。額にかかる癖毛を掻き上げて大きく息を吐くと目を閉じる。
「悪い。今のは八つ当たりだな」
 鳴海に手招かれ雷堂が近付き助け起こすと、ふらついた身体が側の龍穴まで移動した。悪魔を視る目は気の流れも捉えているらしい。身の安全を確保出来たわけではないがあのまま無防備に会話を続けるよりは余程マシだ。
「……治療を」
「平気だよ、道具もったいないだろ」
「ならせめて止血を。腕の傷は深いだろう」
 どうせ無理に勧めても鳴海は首を縦に振らないしこれ以上先で危険な目に遭わせるつもりもない。返答を待たずに持っていた包帯を取り出せば、鳴海もいくらか躊躇った後でおとなしく腕を差し出した。
 黙々と作業を続けているとやがて鳴海の肩が震えた。俯く表情は窺えず、まさか泣いているのかと思った辺りでそれが勘違いだと知る。くく、と喉を鳴らす音が聞こえ、どうやら鳴海は笑っているようだった。
「何が可笑しいのだ」
「いや……、ごめんごめん、お前に貴様呼ばわりされたの久々だなあと思って」
 鳴海に言われた言葉は正しい。まだ鳴海が所長であることに納得していない頃はそれなりに反発もしたし貴様と呼んでいた。認めてからは所長と呼ぶようになって、想うようになってからはそれでは足りなくなった。名前を呼びたくなった。
「馬鹿なことを言うからだ。待っていられるわけがないだろう」
「馬鹿なこと、ね」
「馬鹿なことだ」
 それきり鳴海が黙ってしまったので雷堂も口を噤んだ。言いたい事は山のように頭を過るが今話すことではないような気がする。怒りも焦りも心中では渦巻いているのに、異界に等しい地下造船所の空気はただひたすら静かだった。
「……昔世話になったんだ」
 ぽつりと薄暗い中に落ちた言葉は止血を終えた雷堂の耳に容易く転がりこんできた。まばたきひとつの間だけ考え、鳴海の言葉が叫んだことへの返答だと漸く気づく。
「これでも若い頃は軍にいたんだよ。そん時宗像さんには随分世話になった。超力計画の話も聞いた。えらいさん達には馬鹿にされてた計画だがな」
 鳴海はぐしゃぐしゃと癖毛を掻き乱すと目を閉じた。黒というには薄い色をした瞳が瞼の向こうに隠される。
「そこに民の犠牲なんてことはなかったはずだ。少なくとも私の知ってる宗像さんはそんなことを望む人じゃなかった。人は変わるもんだけど……流石にこれは、な。お前は戻れよ。宗像さんは私がどうにかするから」
「何故そこまでする」
 再び現れた鳴海の瞳は雷堂を映していた。苛立つ感情が吐かせる言葉、その答えはきっともう知っていて聞きたくないものなのに。
「何故だ」
 だって、と鳴海の唇が動く。まだ離さず腕を掴む手に力が篭り、痛みを感じたのか少し顔を顰めた後、眉を下げて鳴海はへらりと笑った。だって。ちいさく繰り返して。

「だって──あの人が好きだったんだ」

 今のお前ならわかるだろ。
 いつか見せたほころびを無防備に曝け出したまま、鳴海が歌うように言葉を紡ぐ。傷付けたくない守りたい、深淵に向かわせたくない。それは確かに想う相手には自然な感情で、宗像と鳴海の関係を鳴海と己に置き換えればおそらく雷堂も同じ事をするんだろう。
 そう思うのも確かなのに、聞こえた言葉に身体の芯を砕かれたようにさえ感じて雷堂は掴んだ腕を引いた。今の雷堂なら、と口にしたなら鳴海はこの想いを理解している。なかったことにはしていない。それなのに。
「なら」
 向かう先は違っても同じ想いを持っていると、鳴海自身が言うのなら。
「守らせてくれ」
 全ての個人的な感情を抜きにしても、帝都を守護する当代葛葉雷堂としてここで鳴海を下がらせ宗像を止める事は道理に適っているはずだ。頭ではそう理解していても雷堂の身体を動かす衝動は心の中の正直な部分でしかない。
「…………、」
 ふ、と唇を歪めた鳴海がもったいないなと呟いた。雷堂へ聞かせるつもりがあるのか曖昧な声が鳴海の口から滑り落ちる。
「いっぺんだけ抱いてもらったんだ。あの人は他のひとのなのに」
「鳴海さん?」
 雷堂が掴む腕はどういう技を使ったのかするりと持ち主の胸元へ逃げた。顔を見れば鳴海の表情は穏やかでしかない。
「嫁さんのいるあの人にお願いして、自分から逸物舐めてくわえてまたがって腰振って喘いで」
「……」
「もっとくださいって強請って」
「……黙れ」
「抜かないでくださいって抱きついて何べんも気ィやって。はは、馬鹿みたいだろ」
「黙れと言っている!」
「お前が好きだなんて言ってんのはそんな昔にしがみついてる幽霊じみた女だよ」
 雷堂の声を聞かずそこまで言うと、鳴海はもう一度眉を下げて笑った。
「だからいいんだ、私は気にすんな。戻れ。こんなのは……、過去の後始末なんてのは大人の仕事だ。若者は前見て進んでくもんだろ。雷堂、」
「……」
「わかったか?」
 だぁん、と鈍く大きな音がして雷堂は肩まで伝わった衝撃に少しだけ眉を動かした。金属で出来た壁に思い切り打ち付ければ手のひらもそれなりに痛い。壁には僅かに振動が残り、裏側で反響しているから向こう側は空洞の造りになっているんだろう。意識の端でそんな判断を下しながら雷堂は間近にある鳴海の顔を見ていた。眼鏡の向こうでわかりにくく見張った目が頭のすぐ横を打った腕に視線を遣り、また雷堂を見る。その瞳に映る自分の表情は無い。
「了解した」
 言って雷堂は立ち上がり、管を取り出すと口の中で詠唱した。仲魔も強行軍で此処まで来たためそれなりに傷付いているのだ。
「雷堂?」
 順に仲魔を呼び出し疲労の度合いに応じてチャクラチップやチャクラドロップを与え、十二体分のそれを繰り返し、その後とりあえず暴威弾を愛銃へ装填する。どの弾丸が有効かわからないなら一番威力が高いもので準備しておけば間違いはないだろう。
「ちょっと待て雷堂、お前わかったって言ったよな」
「ああ」
「ならとっとと戻れ。何してんだ」
 見上げてくる鳴海を一瞥し、雷堂は作業を止める事なく言い放つ。指先から弾丸が滑り落ち、床の板に当たって跳ね返った。カツン、と硬質な音が鳴海との間に響いて消える。
「戦闘準備だ、見て分からんか」
「んなことはわかってる……お前、」
「鳴海さんを気にするな、という部分は了解した」
「は」
 弾丸は転がって座る鳴海の足先で止まった。拾うために片膝を付き、雷堂がそのまま視線を流せば鳴海は僅かに瞠目している。背後で業斗の笑う気配がしたのは気のせいだろうか。
「ありがたく所長の指示に従うとしよう。もう我は鳴海さんに何を言われようが退かん。宗像は我が止める、帝都を守る。それだけだ。鳴海さんこそ……良い子で待て」
 空いている手のひらを鳴海の頭にのせる。鳴海に出会ってからこれまで、幾度となく施された動作を返すのは初めてだった。自分が鳴海にされていたように撫ぜたり髪を掻き混ぜるのはどこか照れくさくて出来なかったが、ふわふわと癖毛が手のひらだけでなく指の間にも入り込んで触れる感覚がこそばゆい。
 く、と耳慣れた音が聞こえて雷堂は素早く立ち上がり鳴海に背を向けた。いい加減にここまで来ると予想が付いてしまうこと自体が更に顔の熱を上げる。それでも耳まで赤くなってしまうと背を向けても鳴海にはばれてしまうのだろう、ははは、と思ったよりは随分と控えめな笑い声が響いた。また爆笑されるとも思ったのだが。
「……うん、わかった。だけど私も行くからな。二人で、だ」
「ああ」
 拾った弾丸を所定の位置に収めながら了承する。大人しく待っていて欲しいというのが本音だが、そこは鳴海も譲らないだろう。鳴海が立ち上がる気配を感じても雷堂はまだ振り返らなかった。最後に大雑把にでも傷を治すため、仲魔に回復魔法を命じる必要がある。
「そうだよな。お前は葛葉雷堂だしな」
「違いないがそれだけだと思いたいなら好きにしろ」
「え?」
 背で聞く言葉に感情を動かされて呟けば、聞き取れなかったのか鳴海の声は疑問を含んだ音になっていた。伝えたいのはそんな言葉ではない。召喚した女神が雷堂の側であらあらと零してひらりとベールを翻し、足下で業斗が小さく鳴いて鳴海の方へ向かったようだ。
 伝えたいのはあの時からひとつもかわらない。
「それとこれだけは言っておく」
 学帽の鍔を引き、僅かな間躊躇して元の位置へ戻すと雷堂は振り返った。
「何を聞かされようが、それが虚言だろうが事実だろうが──」
 拳を握れば指にはまだ癖毛の感触が残っているような気がする。見据えた鳴海がぱちりとひとつまばたきした。


「我が好きなのは鳴海さんだ」






 言うだけ言って再び鳴海に背を向けた雷堂が仲魔に何か話している。黒尽くめの姿を少しだけ見つめ、鳴海は足下の黒猫に苦笑を向けた。
「はは、ざまァないな……。こども一人説得できずに。あれは反抗期ですかね、業斗さん」
『さてな。小僧が小僧だという証拠だろうよ』
「そうなんでしょうねェ」
 業斗の長い尾がゆらめいて鳴海の足首あたりをくすぐる。ズボンの布越しとはいえやさしい感触に、自分でもわからない過去の感情を呼び起こされるような気がした。黒猫はただ後進を見ている。小さな獣の目で見ても、あの背は随分と広くなったのだろうか。
『鳴海』
「はい」
 尾が離れると同時に呼ばれどこか惜しいと思いながら返事をする。たん、と尾の先が赤茶けた床を軽く打った。
『多少薹が立ってるのは否めんが、俺から見ればお前も十分若造だ』
「酷いな」
 からかうように付け加えられた言葉に笑っても、猫は目を合わせず髭を振るわせるばかりだ。
『お前の情もわかりにくい』
 言われたことに口を噤み、はは、ともう一度鳴海は声に出して笑う。内側のいろいろを見透かしているのは特殊な能力でもなんでもなく、生きてきた時間の長さがもたらす聡さなんだろう。ともすれば不快になるはずのそれが素直に届くのは猫自身の徳なのか。ああだめだやっぱりあたしはこういうのによわい、心の中の呟きまでも聡い生き物には気づかれているかもしれない。
「そうしてるんだから当たり前です」
『だからお前も若造だというんだ。小僧にそこまでの価値があればいいが』
「一番買ってるあなたがそれを言いますか。まあそれでも、……私を好きだなんて言ってくれたひとを失いたくなかったし……今も失いたくないんですよ」

 なぁん、と鳴いた黒猫に苦笑し、鳴海は雷堂の背に目を細めた。





---------------------------------------------------------
20090817

どんどん雷堂さんがこわいひとに。まあ若造なので。