女。雷堂がまず第一に持った感想はただそれだけで、付随する感情も特にはなかった。しかしそれなりに驚いていたのか、口から勝手に言葉が零れていたようで目の前の女性がふっと笑う。 「そ、オンナだよ。カラスのねえちゃんに聞いてなかったかい?私が所長の鳴海だ。よろしく、十四代目葛葉雷堂……と目付けさん」 上司になる女性はくわえ煙草を灰皿に押し付けると立ち上がり、指先で眼鏡の位置を直してからすっと手を差し伸べてきた。座っている時から長身だろうとは思ったが、立てば雷堂よりも僅かに低いだけで目線もほぼ変わらない。探偵社の内装や服装と同じく顔立ちもやや洋物めいていて、西に在る歌劇団にでもいれば確かにトップスターでも狙えるのでは、などと下世話なことを思った。とはいえ雷堂にそんな知識があったわけではなく、駅から鳴海探偵社までの道のりで迷子になっていた道中、町人から得た噂話と目の前を照らし合わせて納得しただけだ。その時は男でもあの歌劇団に入れるのかと首を傾げたが、どうも根本から勘違いしていたのだと漸く悟る。多くのモガのようなスカートではなく、どうにかして型を合わせたのかスーツを身に纏っているから男装めいて見えるのかもしれない。胸のふくらみを隠しもしていないのだから男装ではないのだろうけれど。 「既にご存知のようだが、葛葉雷堂だ。世話になります」 握った右の手のひらはこれもまた雷堂と比べ遜色無いほどの大きさだったが、すこしかさついている肌でも感触がやわらかい。それほど強く握った訳でもないのに得た感想にやはりこのひとは女なのだな、と雷堂は思った。わざわざ確かめる事でもないのだがと心中で付け加える。 「んー、まあ気楽にやってちょうだいな。私も気楽にやるしね。とりあえず部屋とか風呂とか案内するから付いといで」 西洋式の設備は知識にあっても使った事がない、もしくは存在すらしらないものばかりだ。自由に操る鳴海の指先が魔法のようだと思いながらとりあえず頭に詰め込み、移動しながら脳内で復習していると横から呟きが聞こえた。 『…女とは』 「業斗?」 『ヤタガラスめ、何を考えているやら…まああいつらには都合のいい人選なんだろうが、不気味だな。伽の相手でも与えたつもりか』 「業斗!!」 「あっはっはー、それはないよ」 耳に入った伽の言葉に雷堂が叫ぶと、業斗が口を開くよりも先に前を歩くひとが笑った。思わず一人と一匹の視線が集中する。 『まさか』 「んー。業斗さん、だっけ?貴方の想像してるのとはちょっと違う。私はデビルサマナーじゃあないよ、単に「見えて」「聞こえて」いるだけだ」 鳴海がくるりと振り返り、背に在る扉をコンコンと拳で叩いた。 「ここが私の部屋。言わなくてもわかるだろうけど勝手に入らないように。ここの掃除はやらなくていい。で、向かいが雷堂君の部屋ね。中にあるのは雷堂君の好き勝手していいから、足りないものはまとめて紙に書いて明日の朝渡して。以上。質問は?」 『俺から質問させてもらおう』 矢継ぎ早の言葉に雷堂が混乱しているうちに、一歩業斗が前に出る。にゃおん、と響く鳴き声は同時に聞こえているのに、頭へ直接届く感覚をどうやら鳴海は正しくとらえているらしい。 『見聞きが可能だと言ったな。なら悪魔と戦う能力は。それは生来の能力か』 「戦う術はちょっとだけだよ、私に封魔する力はない。生まれつきかと言われれば…まあ多分、生まれつきなんだろうなあ。葛葉が私をどう見るかは自由だが、私としては帝都での後見人と上司としてお付き合いしたいね」 『む…先程の失言は忘れてくれ。聞こえていまいと軽口を叩いた。すまない』 「いーよ、こういう任に女が付いたらそう思ってもしょうがない。まあ当代様が若いからちょーっと違和感あるけどねえ」 言って鳴海はまた歩き出し、事務所へと戻った。がさがさと戸棚を漁ると洋菓子を皿に盛って来客机の上へ置く。 「晩飯にゃ早いしそれでも食っときな。今日は雷堂君の歓迎会だ、夜になりゃ多原屋にでも食いにいこう。あそこはなに食っても美味いし。腹減ってるんだろ」 すたすたと奥の机まで進むと鳴海は煙草に火を付けて窓際に凭れた。ふわ、と煙が室内に身を滲ませる。 「雷堂君?」 ずっと押し黙っている雷堂を不思議に思ってか、鳴海が首を傾げた。少しだけ色の薄いふわふわした髪の毛が光を透かして目に明るい。 「雷堂、でかまわない。どうぞ呼び捨てで」 「ん、了解」 「貴方の部屋に入らないのはもちろんとして。掃除、とは」 「だってお前書生でしょ」 かか、と笑って鳴海はひどく美味そうに煙草を呑んだ。窓の外、空を背負ったまま。 「な」 「書生で探偵見習い。違うかい?なら衣食住頑張ってくれ。毎日やれってわけじゃないしできないことはできるようになればいいだけだ。おっと文句は私に言うなよ、カラスのねえちゃん呼び出してくれ。こういう立場をこしらえたのはヤタガラスだからな」 ぱく、と一度口を開けて閉じ、何度かまばたきを繰り返してから雷堂は鳴海を見た。確かに書生とはそういうものだ。何かしらの労役を提供して住まわせて頂く、それは知っているけれど。 「はは、お前わかりやすいねえ。面白い矜持いろいろ持ってんだろ?それはそれでいいけどね。ほら食べた食べた、あれだけ歩き回ったら腹も減ったろ」 「〜〜、承知した、所長殿!…ってなんだその、歩き回ったらというのは――」 面白い矜持、のあたりが癇に障ったが言う事は理に適っている。多少苛立つ口調になってしまっていることは自覚したままそれでも嫌味を込めて敬称で鳴海を呼ぶ間、雷堂はふと気づいた。さっきから何故こんなにも菓子を勧められているのか。なぜ歩き回ったらなどと言われているのか、それは。 「ん」 鳴海は窓辺に凭れたまま少し背を反らすと、わかりやすく視線を外に落とし、そして雷堂に戻すとにっこり笑った。 「何でも一人でできようって気負うのはいいが、道聞くまで半時かかるのは長いんじゃない?ちなみに三回はここの前通ってるからな、雷堂ちゃん」 「ききき貴様ぁっ」 『落ち着け小僧』 「ははは!威勢がいいなあ雷堂ちゃん、でもいい経験だったろ?ここはいい町だ。だいたい親切だったんじゃないの、お前みたいな余所者にもさ」 からかわれた怒り、彷徨っているところを見られた気恥ずかしさ、葛葉雷堂だとわかっていたなら声をかけてくれてもよかったのではないかという甘えにも似た押しつけの道理と。ぐるぐると雷堂が思考を渦巻かせているのを見ながら、鳴海は笑って言葉を続けた。 「迷子にもなったし不安もあるだろうけどそのうちここを好きになってくれ。それから帝都を好きになればいい。それができたら、帝都を守ってくれ。……ま、とりあえずは珈琲の煎れ方から伝授しようかね。飲んだ事ないだろ」 「……っ、ああ。受けて立つ!」 「ぶはっ!!」 顔を赤く染めたまま鳴海に向かって叫んだ雷堂に返ってきたのは上司の大爆笑だった。ひーひーと苦しそうなほど笑い、危ないと思ったか灰皿に煙草を押し付けながらまだ笑う。 「ひ、くははっ、やば、灰、灰落としちまうから…っ!ほんっと、お前、おもしろいね、受けて立つ、くく、かー」 笑い涙まで流したのか、鳴海が眼鏡を取って手の甲で目の端を拭う。硝子を通さずに初めて見た鳴海の、伏せた睫毛の長さに雷堂の心臓がどきりと鳴った。腹立たしい失礼な女だという印象しかなくなってしまったが、その前に女性と会話した事などほとんどないのだ。里で指南に当たる人物が女性だった事はなくもないが、師事する者に性別など感じる隙はなかった。 「ひ、久々に泣いた…!笑い泣いた……!!」 「ああもういいだろう、さっさと教えろ」 「うん、うん、はは、あー、……。あ、忘れてた」 言って鳴海は眼鏡をかけ直すと、まだ顔の赤い雷堂とソファで我関せずとくつろいでいる業斗を見てふわりと笑う。それは会ってから今までほとんど笑い顔しか見せなかった鳴海の表情の中、いちばんやわらかくて好ましいと雷堂は思った。 「ようこそ銀楼閣へ。歓迎するよ雷堂と業斗さん、今日からここが君らの家だ」 --------------------------------------------------------- 20090411 最初からからかいモード全開の鳴海さんとプライドたっかい当代様
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