朝餉の匂いに空腹を刺激されて瞼が持ち上がる。布団の上で身を起こし欠伸をひとつ零しながら、なんだこれは夢か、と雷堂はぼんやり思う。自分が作らないのにこんな匂いが漂うわけがない。ぺたりぺたりと裸足のまま台所へ足を向ければ見慣れた背中が見えて、雷堂の心臓は大きく跳ねた。
「なっ」
「ん?ああ、おはよう雷堂」
 振り向いた鳴海は挨拶だけ寄越すとまた背を向けてしまった。トントン、と小気味いい音がしてまな板の上で何かが刻まれている。火にかけられた鍋からはゆらゆらと湯気が立ち上っていた。窓から入ってくる光は朝独特のまぶしさで床に広がっている。
「もうちょい待ってな、米蒸らしてるとこだから」
 お前朝から良く食うもんなー、と笑う鳴海の声がどこか遠くに聞こえる。手際よく動く両の手を眺めてこれは願望なんだろうかと思った。鳴海が雷堂に手料理を振る舞うことなどそうそうない。付き合いは帝都守護の任を解かれていた期間も含めるとそれなりに長くなるが、雷堂が風邪を引いたときの粥や誰かが探偵社を訪れた時のもてなしでしか鳴海が動くことはなかった。どういうわけか珈琲は自分でいれるようになったので除いておくとしてもほとんど料理などしないのだ。
「雷堂?」
 微動だにしない雷堂を不審に思ったのか、鳴海がくるりと振り返った。雷堂の浴衣をかっぱらって寝間着にしている姿はもう見慣れてしまったが、朝の光を受けて台所で、は珍しいものだ。どちらかと言えば朝の光を浴びた鳴海は同衾した寝床の方でよく見かける。
 まじまじとその姿を眺めていいな、と思った。起きて朝食が準備されているのは病気や怪我以外ではどこかに泊まったときぶりだし、何よりもそれを鳴海がしてくれている、というのがいい。帝都に来るまで料理などしたことがなかった雷堂にはぼんやりと食事は女子が作るものだ、という意識があった。出会ってきた料理人達やタヱのような地位向上を目指す女性達には怒られるかもしれないが、別に女性を下に見ているわけではない。母性を料理に求めるというのも恥ずかしい話だけれど単なる憧れだ。鳴海が情人になってから考えはもっと簡単になった。誰だって惚れた女に作ってもらえたならうれしいだろう。それに、まるで。
 つ、妻のようではないか。
「おーい雷堂、起きてる?おはようの返事もなしかい?」
「……おはようございます」
 最近鳴海と視線を合わせる位置が少しだけ下になった。同じぐらい少しだけ気を良くして唇を合わせる。こういうことがしやすいのも利点だ。
「どしたの雷堂ちゃん、めずらッ」
 珍しい、と続けようとしたらしい鳴海を引き寄せてもう一度くちづけた。腕の中でじたばた暴れていた身体はやがて諦めたのかどうでもよくなったのか、そっと雷堂の寝間着を掴む。
「は」
 幾度も啄むうちに鳴海の唇から湿った息が漏れ、そろりと舌を忍びこませた。粘膜で感じる体温は常よりも熱い。
「んう、ちょ、あ、朝からちょいと激しくないかい雷堂ちゃん?」
「鳴海さんから言い出したことは守ってもらわないと困る」
 頬を染めて睨まれても怖くない。押しのけてきた手のひらをぺろりと舐め、雷堂は離れた身体を強く抱き込んだ。肩口に顎をのせて密着してからああすまない我も守っていなかった、と呟く。相手を責めたものの自分も失念していたようだ。
「…こういう時は「綾」と。鳴海」
 耳元で呼び捨てれば鳴海の身体がぶるりと震えた。息が吹き込まれたからか、それとも形を成し始めた下半身を押し付けたからだろうか。どちらでもいい。
「待て、お前なんかおかし、く、ないか…ッ」
「おかしいのは所長殿だ、我の知る貴方は朝餉の仕度などしない」
「だってそりゃお前が」
「書生だから、なのだろう?何回も聞いたし納得もしているのだが」
「、違」
「こんな鳴海を見たら抑えが利かん」
 ――我の、だ。
 言い捨てて片腕で強く抱きながら細い帯を解けば、拒絶を見せていた身体からふっと力が抜けた。何かと思って鳴海を見れば眉を下げて笑っている。
「っとに馬鹿だなあお前は」
 後ろ手に火を止めた鳴海はぽんぽんと雷堂の頭に手をのせて弾ませると、寝癖付いてると呟いて髪を梳いた。じっと見つめれば視線が絡む。鳴海からのくちづけはやわらかさしかわからないものだ。
「馬鹿だよ。綾ちゃん」
 ちゃん付けに毎度ながら抵抗を感じても許されたことは素直にうれしいと思う。その感情のまま雷堂はぎゅっと鳴海を抱き締めた。



「え、ちょ、ここで」
「抑えが利かんと言っただろう」
 水場まで追い込めば鳴海が逃げる先はない。くちづけで乱れた息のまま浴衣に手を差し入れて素肌に触れる。すべらかな肌を吸うといくつも痕が散った。
「逃げないから、がっつくなよ…」
 がっつくなと言われても。内心で苦笑して目の前の身体に舌を這わせる。やわらかな胸は雷堂が動かすままに形を変えて指先を沈み込ませた。
「無理だな」
「んっ」
 水場にもたれる形になっている鳴海の足を開かせて内股に触れる。膝から付け根までゆるゆると往復させていると焦れたのか鳴海が声を上げた。耳に入るなり雷堂の欲を煽るそれは媚薬と同じものだ。
 薄い腹に口付けながら膝を付き、指の腹で脚の付け根、胴と別れる部分を撫ぜると身体が跳ねる。
「無理、って言い切っちゃってまあ、」
「無理なものは無理だ」
 唇で内股を辿り、付け根のすぐ下へ痕を残す。日に焼けない肌は雷堂のような生来のものとはまた違った白さで、血管がうっすらと透けるそこの感触に目眩を覚えた。やわらかな肉の内側にはきっと鍛えられた筋肉が眠っているのだろう。僅かに片足を持ち上げ、さらに奥まった部分の肉をしゃぶる。一所ばかりを甘く噛み、咥内に捉えては舌先での刺激を与える。唾液がだらだらと太股を伝い落ちて脚を掴む手を濡らした頃になって漸く見上げた先、鳴海が溶けたような拗ねたような目で雷堂を見下ろしていた。かわいらしいなと思う。そんな感想の真裏でどこか隷属めいた気分も味わった。そこにあるのがなんであれ、鳴海が望む行為を雷堂も望むのだからどうでもいいのかもしれない。
「あぅ」
 すぐ横のぬるみへ口を向け、舌で大きく舐め上げると鳴海の指が髪へ絡む。強い力ではないから雷堂は拒絶と判断せずに内側へ潜り込んだ。ぐちゅ、と粘ついた音が台所に響く。閨での経験から鳴海の好むやり方はある程度心得ているけれど、実践してみれば喘ぐ鳴海の顔に出ている快楽は深い。
「あ、あ、ぁあッ」
 悦ぶ刺激ばかりを選んで与えると鳴海が細い悲鳴を上げて腰を引いた。いつもより早い絶頂にすこしばかり驚いて見上げれば察したのか唇が馬鹿、と動く。
「流石に恥ずかしんだよ、こんな明るいとこで朝っぱらから…」
 喘ぐ表情に照れが混ざっているのだと漸く悟り、雷堂は些か乱暴に口付けると鳴海の身体を裏返した。肘にひっかかるばかりになっていた浴衣を剥ぎ取る時に鳴海が文句を言ったようだったが聞く耳は持たない。いつもからかってくるばかりの鳴海が見せた羞恥にたまらなく煽られたし、多少つられて雷堂にも羞恥は訪れ、顔が快感だけでなく赤に染まってしまっていると思う。それを見られるのもなんだか癪だった。
 自分の肉が飲み込まれていく卑猥な様を最後まで眺め、雷堂はひたりと鳴海の背に貼り付く。脈打つ自らの鼓動を背中越しに鳴海は感じているんだろうか。肌のぬくもりを全身で感じ、項に口付けてゆるゆると腰を動かす。
「んぁっ、あ、や、綾ぁ」
 引き抜き更に奥へ潜ろうとする動きに鳴海が啼いて名を呼んだ。最奥ばかりを苛まれて身を捩らせる、その背に汗が流れて艶かしい。
「鳴海…ッ」
 快感を追い出せばそれしか考えられなくなる。つながった部分はぐちゅぐちゅと粘ついた水音を立て、遠慮なく腰を打ち付ければ合わさる肌に乾いた音が響いた。普段ならもっと駆け引きめいたやりとりを楽しむし先手をしかけてくるのは鳴海だが、どうやらお互いに余裕がないらしい。明るいところで朝っぱらから。鳴海の言は正しい。朝の鮮烈な光に影さえ薄青い台所で抱き合うなんて考えたこともなかったのに。夜のランプを弾く時よりも肌の輪郭や表情をはっきりと認識できる状況は視覚で雷堂を煽ったし、清廉な空気の中で淫らなことをするという背徳が熱を高めてくれる。
「うぁあ、や、いぃ、い」
 流しの縁を握っていた鳴海がずるずると崩れ落ち、雷堂も追って膝を付く。力の入らないらしい身体の腰を掴んで深くを穿った。為すがまま揺さぶられている鳴海の口から嬌声が零れる。
「鳴海、好きだ、鳴海」
 すきだときもちいいしか考えられない。鳴き声がすすり泣きに近いものになり、鳴海がひっと息を飲んで声にならない悲鳴をあげた。
 くたりと床に懐いたからだに覆いかぶさり腕を回して抱き締める。全身で鳴海を包んだまま無遠慮な抜き差しを繰り返してぎゅうっと押し込むと、雷堂は身体が求めるまま吐精した。びく、と何度か震えて全てを注ぎ込む。
 しがみついたままでしばらく荒い息を吐いていたが、やがて鳴海が身じろいだので拘束を解いた。振り返る口元に同じものを寄せると笑んだ唇が迎えてくれる。ああ今きっとしあわせなのだ、そう思って雷堂は感覚を享受した。



「いや何で今更照れるのよ雷堂ちゃん」
「うるさいッ」
 風呂を使い身支度を整え、冷えてしまった白米と温め直した味噌汁、お浸し、卵焼きと鳴海手製の朝食がテーブルに並ぶ頃になって漸く現実だと理解した雷堂は一気に頬を染めた。夢だと思っていた、との弁解に鳴海が不満げな溜息を漏らす。
「あーそれで変に強引…つかちょっと違ったのねお前。抱いても夢だと思ってたってのは鳴海サンご立腹なんですけど」
「う…そ、それは仕方ないだろう、片恋の頃にそんな夢は山ほど見たのだから変に慣れ、いや夢見ていた頃より余程気持ちいいのだが鳴海さんの声とその感じた顔」
「はい終了!…ったく、脱線してるよ雷堂、たまにお前気づかないですごい恥ずかしいこと言うよなあ…いやかわいいからいんだけどさ」
 ほんの少し頬を染めた鳴海が強引に雷堂の言葉を遮ると卵焼きを口に放り込んできた。食べ物に罪はない、と大人しく咀嚼する。出汁と味醂のきいた味は雷堂の好むものだ。
「うまい」
「ほんとかあ?まああたしが作ったんだから不味くはないだろうけどさ。なんて言うか…もっと美味い飯知ってるからなあ」
 お前にはもっと美味いの食べさせてやりたいんだけど。そう笑う鳴海が妙に寂しげに見えて、雷堂は慌てて口の中のものを飲み込むとうまい、と繰り返した。
「いや、うまい。これがいい。その、鳴海さんの作ったのが、いいのだ。いやうまいのも確かなんだが、ああなんだうまく言えないが」
 どうにか心の内を言葉にして伝えようとするが上手くいかない。帝都に来て随分と感情を表現する幅が広がったと自分でも思っていたのにあまり進歩していないということだろうか。何故だかこういった料理や髪といった小さな部分に鳴海はよくわからない劣等感を抱いているらしい。雷堂としては単純に鳴海が悲しそうなのは見たくないのだ。客観的に見ても食卓に並ぶ料理は真っ当な味覚を持っていれば誰もが美味いと言うものなのに。鳴海の言う「もっと美味い飯」がどんなものだか知らないが、何故そんなに卑屈になるのか雷堂にはわからない。ちらちらと見える過去に関係があるのかもしれないけれど鳴海が話したいと思わなければ知れないことだ。それよりもそんな理由で手料理を振る舞ってくれないという事実の方が雷堂には重要だ。
「世辞でなくうまいからな!……だから、その、また作ってくれるとうれしい」
「そんな必死で言うことかね?うーん、ま。そんな喜んでくれるなら、たまにはな」
 まあまた麻雀で負けりゃすぐかもなァ。
 その言葉に漸く雷堂は何故鳴海が朝食を作ったのかを思い出した。仲魔を交えて囲んだ卓で、酔っぱらっていた鳴海は手持ちもないのに大敗した。一人勝ちしたヨシツネやパールヴァティ、ミシャグジさまにイッッポンダタラ等などのその場にいた面子が脱げ脱げと騒いだのは雷堂のきつい一睨みで黙らせたが鳴海が負けたのは確かである。どうするか、と悩んでいた時に助け舟を出したのは花を持つ異国の女神だった。鳴海ちゃん、普段雷堂ちゃんがご飯作ってくれてるんやから明日の朝ぐらいつくったりいな。それでええんとちゃう?生温い、と男(?)連中からは再度脱衣コールが起こったが、結局雷堂の鬼の形相とパールヴァティのいいかげんにしとけやコルァというオーラを背負った微笑みに満場一致と相成った。そうして鳴海に告げたのだ。負けた代償に朝食をお願いする、と。
 その時は鳴海や仲魔達だけでなく雷堂自身も酒を多少飲んでいたこともあり、仲魔の悪ふざけに頭へ血が上っていたからすっかり対応策の方を忘れていた。覚えていたとしても、鳴海もへべれけになっていたからなかったことにされているだろうなと諦めていたというのもある。
 思い返してみればパールヴァティは管に戻す前、意味ありげに微笑んでいた。あれはきっとこういうことだったんだろう。
 ぼんやり考えているとちいさな呟きが聞こえた。見れば鳴海が目をぱちぱちさせながら口を動かしている。
「どうした」
「いや…」
 ごくん、と飲み込むと茶を一口すする。雷堂からすればこの上もない朝食に視線を向けたまま、静かに声が落ちる。
「うまいな、って」
「何度も言っているだろう。鳴海さんのつくる料理はうまい」
「ああうんありがとな、うん。そうか」
 言って鳴海は小さく笑う。そういうことか、と呟きは食卓に混じって消えた。その表情のまま顔をあげて雷堂を見るものだから思わず雷堂の頬が染まる。
「いっぱい食えよ雷堂、あたしとの飯うまいって思ってくれるならさ。…朝っぱらから運動して腹も減ったろ?雷堂ちゃんたら激しいんだから」
 思いっきり噎せた雷堂にかかか、と口を開けて笑ってから鳴海がひとくち味噌汁を啜る。
 うん、うまい。
 咳き込んで涙目になりながらも雷堂が当たり前だと返せば、鳴海がよいこにはご褒美だと卵焼きをひとつ分けてくれた。






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20090426

いちゃいちゃちょっとエロ。
くっついてからしばらくしてのお話でした。