情けなくも言い訳をするならば、俺は間違いなく酔っていた。


 ふと気づけばソファにだらりと座り込んでいた。座り心地がいつも通りだから事務所のものだろう。佐竹の持つ部屋にソファなんてものはないし、女将の自宅にあるやつはいつも柔らかな一枚布がかかっていてこんな感触はしない。どうして俺は座っているのか。ああそうだ、事務所で飲んでいたんだ。ライドウが飲めるだなんて言うから、じゃあ少しだけ付き合えよ、だなんて肩を叩いて誘って。
 きっかけはライドウが一升瓶を手にしていたからで、聞けば悪魔用のものだと言う。人間でも飲めるのかと聞けば頷かれたので味見したそれば酷く美味かった。秘蔵濁酒だなんて大層な名前のついた酒を気に入った俺に、ライドウは少しだけ表情をやわらかくしてお好みに適うならどうぞ召し上がって下さい、貰い物ですが、と静かな声で嬉しいことを言ってくれた。まあ、そこからは普通の酒盛りだ。俺は田舎育ちですからと前置いて酒飲みであることを明かされたなら飲ませずにはいられないだろう。そもそも俺は和洋問わず酒が大好きで、自他供に認める飲んだくれである。まあ生業柄飲まれることは僅かだが、多少でも感じるあの酩酊感も酒での高揚もなによりあの楽しくなる空気が大好きなのだ。相手が居て飲める酒が美味いこと程しあわせなこともない。うきうきとグラスを用意し、簡単な摘みを作るライドウを手伝い(普段家事等ひとつもしない俺が料理出来ることに奴はすこぶる驚いていたがこれでも俺は自分だけを生かすことにかけては天才的だという自覚がある)、始まった酒宴は間違いなくしあわせなものだ。酔いで目元を染めた美少年を見ながら俺はご満悦だった。
 ご満悦だった、はずだ。

 いつの間に俺は瞼を下ろしたのだろう。酒で霞がかる思考の中、目を開けばライドウの顔がゆっくりと離れていくところだった。奴も酔っているのか少しだけ目が潤んでいる。かわいいな、と思ってにこりと笑ってやれば形の綺麗な唇が一言分だけ動いた。
「……もう一度、」
 そして近づいてくる顔は相変わらず恐ろしい程整っている。なぜだか瞼を下ろしてしまう俺に与えられたのはやわらかな感触で、ああ人間の温度だ、と安心した。やわらかく唇を食まれるのにくすぐったさを覚える。ふ、と息を吐いた時にはもう舌が滑りこんで来て、漸く俺は気づいた。
 これはくちづけだ。
 どうしてだとかなぜだとか、通常ならば突き飛ばしてしまうぐらいの行動がその時の俺には取れなかった。ただ閉じた瞼の裏でさっきのライドウを思い出し、欲情していたんだなと思う。かわいいと思った表情、潤んだ瞳、そこにしっかりと灯っていた慾の炎は今まで何度も見てきたものだ。それこそ老若男女問わず数えきれない程目にした、例えその場限りでも「俺が欲しい」というあからさまな願望。俺は過去に何度もそれを手段にしてきたのではなかったか。使えるものはなんだって使ってきたのだから。俺自身でさえ。
 決して巧いとは言えないくちづけはそれでもがむしゃらさがライドウらしく、俺は微笑ましさすら感じながら控えめに応えた。こちらに引き込んで翻弄することなど容易いが、少年の矜持を刺激するのは避けてやりたい。主導権は奪わず、ささやかに煽ってやる。ふ、は、と湿った息の塊をいくつも吐き、いつのまにか押し倒されていることに気づいた。後頭部にソファの背が当たっている。
「は、ぁあ、んぅ」
 少しずつ上がってくる体温はアルコォルの熱を通り越し、僅かにだけ意識して声を上げながらライドウの顔に手のひらを滑らせる。幾度もくちづけるうちに落ちてしまった学帽はさっき動かした足先に当たったようだった。輪郭を指で辿り、耳やその裏をくすぐってやれば身体にかかるライドウの重みが増した。
 吐息以外に言葉もない。飲み込む唾液は酒も何も通り越して甘く、ぎこちない指先がシャツのボタンと格闘するのを天井を見ながら感じていた。もともと酔い出した頃からいくつか俺自身の手で外していたのだから奴の敵など数少ないことだろう。
「ふ、う」
 胸元にぬめる感触、吸い上げられたと知る。見慣れた天井は身体に起こっている事態とは裏腹にいつも通りだ。ライドウの身体越しに見る俺が散らかしてばかりの所長机の向こう、どれだけ飲んでいたのか空はもう薄青い。夜明けが、来る。
 ズボンの前を開きごそごそ俺を刺激しようとしていた少年は、業を煮やしたか低い声で「後ろ向いて」と強請るような命令を下した。思わぬ色香を含んだ響きに不覚にも感じてしまい、びくんと震えてしまう。それが恥ずかしくてバレないように素直に従った。ソファの背に手をかければずるりとズボンを引きずり下ろされて、さらに羞恥が増す。薄暗いとはいえ見て楽しいものでもないだろうに。膝に溜まるズボンや下履きの具合が悪くてごそごそ動いていると、とたんに腰を掴まれて尻に熱いものが押し付けられた。いくらか濡れているらしいそれは、ああ、ライドウの。
 なんの準備もなしにそんなことは無理だ。急に冷えた頭の片隅がそんなコトを言い、押し付けられるたびにぬち、と粘っこい音が響いた。くそ。ライドウの口から聞いたこともない悪態が漏れて少年が焦っていることを知る。そうなって俺は漸く気づいた。
 奴は何も知らないのだ。いや男でも交合できるという知識はあったようだが、それに至る面倒なあれこれなど思いもつかないに違いない。あたりまえだ、あんなまっすぐな少年がそんなことを知るわけ、ない、だろう。
 全てが正常ならばそんな少年にお前は何をしていると自分をぶん殴るところだが、生憎この時の俺はまだ八割方酒に浸されていて、そんな考えに辿り着けなかった。思ったのは可哀想にな、というひどく単純な、かわいいかわいいライドウに対する憧憬にも似た哀れみだ。
「な、ライドウ」
 言って俺はゆるりとライドウの拘束を解くと振り返り、ズボンに足を取られながら振り返った。見下ろしてくる少年の顔は最中にふさわしく熱に浮かされていて息も荒い。膝立ちになった俺の前にあるそれは今にも吐き出しそうに膨らんで脈打っている。先走りをだらだらと零すそれがかわいそうでかわいくて、こんな俺で感じているのならせめてこれぐらいはしてやるよ、といういささか軽い気持ちで唇を落とした。とはいえ見て一瞬固まってしまった程度に大きいその一物は口に含むのが難しく、どうしても舐るばかりになってしまう。惜しいなあ、粘膜に包まれて舌先に弄ばれる、あの快感をお前にも与えてやりたいのに。
「なるみ、さ」
「ふあ」
 ぎゅ、と癖毛を掴むライドウの腰が震えた。根本や玉を指で擦りながら先端を吸ってやれば、口の中に遠慮なく注ぎ込まれる。舌で受け止めるその勢いの良さに若いなあなどと思いながら飲み下し、口の端に残るものを指先で拭う。少年は余韻に喘ぎながらこちらを見据えていた。
 その、まっすぐさ。
 一気に酔いが冷めた。そうだ、奴は少年で、ライドウで、俺の助手で、デビルサマナーだなんてもので、そして、そして、そして。
「あ。やば、タヱちゃん来るの七時だったよな?俺風呂入ってくるわ」
「え、あ。……はい」
 時計を見れば六時過ぎ。遠方へ取材に向かう我らが葵鳥さんが出立前に資料を取りにくる、これは本当だ。俺は努めて普段通りの声音でライドウに接し、立ち上がりながらズボンを上げると奴をひとり事務所に残したまま廊下へと出た。残念ながら逃げるのは大得意なのだ。
「片付け頼むなー、タヱちゃんに怒られちまう」
 扉から顔だけ戻し、ライドウの表情を認識しないうちにへらりとわらってまた引っ込めた。酔っぱらいの足取りで浴室に向かい、とりあえず脱いでシャワーを捻る。
「―――――ッ」
 落ちてくる水滴の中、俺はずるずるとその場に崩れ落ちた。唇や胸元に残る感触、俺の腰を掴んだ両の手の力強さと温度、口に未だ残るその味、ライドウの聞いたこともない声。
 おれはなにをした。
「う、え、ぇっ」
 音が漏れないように水の出を多くしながら俺はその場で嘔吐いた。とにかく奴に聞こえないように、と自ら指二本突っ込んで舌の付け根を押す。そうして喉を意識して広げてやれば、大体は声も上げず出てきてくれるのだ。こんな技術は少年には覚えて欲しくないなあ。生理的に湧き上がる涙と鼻水をだらだらと零しながら、俺はそんなことを考えていた。
 別に今までの行為が気持ち悪かったわけではない。男を抱いたことも抱かれたこともあるしある種の変態的なことまでおかげさまで経験済だ。そうではなくて。
 俺は自分自身への嫌悪で吐いた。
 あんなかわいくてまっすぐでいいこにおれはなにをした。何よりもしあわせを願う子に俺はなんてことを。
 相手がライドウでなければあれは今までにあった普通のことだ。なんの拍子かただ雰囲気に流されて身体を重ねるだなんて、よくあることだろう。なんで、おれは、よりにもよってあのこに。
「はは、だめだ、この屑野郎が…!」
 一度死んだ身でも結局綺麗にはならないんだ。
 顔で水を受け色々を洗い流し、ぱん、と一度手のひらで頬を打つ。
 風呂を出て三つ揃えを着て髪を整えればいつもの鳴海所長に戻れる。そろそろ出なければライドウに心配されるかもしれない。少年が何を思い血迷ったかは知らないが、あの年頃なら興味と空気に流されて当然だ。一夜の夢と忘れてもらわなければ。
「なあ?」
 それでも。
 いつ死んでもいいと思っているこの身の寿命などで良ければ、引き換えに時間を巻き戻して欲しい。神と呼ばれる存在が居るならば。
 何年かぶりの叶わないとわかりきった願いを脳裏に浮かべ、鳴海はぎゅっと目を瞑る。
 一呼吸。

 見開いた先、鏡の中には少しだけ草臥れた男がへらりと笑っていた。
 
 

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20090403

そしてここから始まる路