「おい」
 ぱちりとひとつ音がして、ゆるゆる辺りを照らしていた炎が大きく揺らいだ。外はどうやら雨が降っているようだが室内は静かなものだ。
「おい、鳴海ぃ」
 厠で用を足し酒を手配して戻って来た部屋は佐竹が出る前とほとんど変化がない。唯一の変化と言えば、乱れた布団の片隅で、癖のある髪を乱したままの女がぼんやりと障子を見ていた。色素が少し薄い瞳の焦点があっているのか、佐竹が立つ方向からはわからない。それでも。
「鳴海」
「……あァ、健ちゃん」
 三度口にした呼びかけに漸く反応し、鳴海は佐竹の方に顔を向けた。視線はどこか揺らいでいる。
「ごめん眼鏡取って。んで煙草ちょーだい」
「っとに動かんオンナやなお前は!」
「あはは、だってしょうがないでしょさっきまで健ちゃんの上であんな頑張ってたんだかッ、ってえ!なんだっての今更。……ありがと」
 赤裸々な軽口を鳴海への制裁で叩き潰し、佐竹は細い縁の眼鏡と煙草を渡してやった。夜が始まる前ならばどちらも鳴海からは離れないものだ。煙草はともかく眼鏡を外した、というよりもむしろ奪ったのは佐竹なので、鳴海が置き場所を知らないのは道理である。
「久々やな。最近はこんな押し掛けなんかせんようになってたんに」
「そだっけ?」
「せやなあ…ふたつきばかりはお見限りやったんちゃうか」
 炎が生まれるどこか掠れた音とともに、室内に独特の匂いが漂う。身を起こし煙草を銜えた鳴海が顔を寄せてくるのに自然な動作で火を与えてやり、佐竹は自らも煙管を銜えた。
「お前も葛葉ぁ預かっとる身やからな、少し気ぃまわしとんのかと思たのになあ」
「それはあるけどね。あいつ未成年だもん」
「それでも大した男やろ。あいつは」
 儂が認めたぐらいやからな。
 そう佐竹が口にするのを待ってから鳴海は殊更ゆっくりとまばたきし、その後でやわらかく目を細めた。笑うと尚下がる目の端が、レンズの反射で見えづらくなる。
「健ちゃんは雷堂びいきだもんねぇ。上司としてはうれしい限りだ」
 寝そべったまま煙草を燻らせていた鳴海は灰皿にそれを押し付けると、身体を起こしてもう一本口に銜えた。火を灯すその肩に佐竹が浴衣を羽織らせる。いくら布団の上に座しているとはいえ、何も纏わない肌は見ている方が寒い。
 ありがとう、鳴海の礼は静かな部屋の空気に溶けた。
「……うん。いいコだよねえ。ほんといいこ。酔った勢いで言ってやろうか佐竹、あたしはあいつがかわいくてかわいくてしかたないの!」
 けたけたと笑いながら鳴海は猪口を手繰り寄せ、手酌で満たすと一気に呷った。
「酔う前に言うとるがな」
「最初は何考えてんだかわかんない餓鬼だと思ったけど、まあ慣れてみりゃわかりやすいし。物言いが堅苦しい田舎モンなのも事実だが、大層な名を背負ってしんどいだろうにほんとあいつはまっすぐでいいコだもの。かわいくってしょうがない」
「ほんとお前人の話聞かんやっちゃな……」
「あいつ初心だしねえ。あたしさ、雷堂がかわいいオンナノコに懸想してどうしようもなくてあたしに相談してきたところを大人のどっろどろした助言ぶつけてやるのが夢なんだよねえ…」
 くふふ、と夢見がちな瞳を空に向けて鳴海が笑う。空いた猪口と自らのそれに酒を満たし、佐竹はぷかりと輪になった煙を吐いた。
「いやまともに聞いたれよ」
「あいつ見目麗しいし王子様なんて言われちゃってるしさあ、桜蘭のお嬢さんとかと並ぶと絵になるよなあ…かわいいんだろうなあ、あの無表情真っ赤に染めて手とかにぎっちゃうの」
 よい娘見つけて惚れて悩んで告白して。
 その合間合間に相談してくれたらいい。
 それぐらい、の存在でいたいんだよ。あたしは。
「鳴海さん我は妻を娶ります、とかこどもが出来ましたとか言われたらあたし泣くかもしれない…!」
「ええかげんにしとけ」
 ぐしゃ、と骨太の手が鳴海の癖毛を掻き回した。その動きで俯いてしまった表情は佐竹から殆ど見えないが、僅かに見える口の端が持ち上がっているから笑っているのだろう。
「お前が葛葉大好きなんはわかったが、どこまで妄想広げとんのや」
「雷堂爺さんが縁側で孫に囲まれるまでー?」
 くすくすくす。さざめく笑い声はなかなか止まない。たん、たん、たたたた、ひとつ音が聞こえたと思えば部屋の中は外から滲む雨音で一杯になってしまう。雨粒が大きくなったのだろう。佐竹が少しだけ障子をずらすと一層濃くなった水の匂いがじんわり室内へ溶け込んで来た。たたたたた、音は大きくもなく聞こえない訳でもなく、そして耳にやさしい。
「しあわせにさ、なってほしいんだ」
 雨音に混ざってぽつりと落ちたのはそんな言葉で、佐竹は答える代わりに掻き混ぜた鳴海の髪を梳いてやった。幾度か繰り返せば俯いたままの鳴海が傾いて、胸に額のあたりを擦り付けてくる。カチリと眼鏡のフレームがずれて固い音を立てた。
「かわいくてしょうがない。だからあいつがしあわせになるならこの鳴海サンはなんだってできるんじゃないかな…?ふふ、今更親心が湧くたあ思わなかったけど、でもね、健ちゃんがあいつ認めてるようにみんなあいつには入れ込んじゃうと思うんだ」
「半分ぐらいは賛同してやるわ」
「さっすがー」
 するりと鳴海の腕が佐竹の身体に絡み付き、目を開いたままで唇が重なった。動じた様子もない佐竹にそのままにんまりと笑い、舌でぺろりと舐めてから離れる。
「儂はお前みたいに世話人やないけどな。単に葛葉ぁを漢と認めとるだけや」
「泣く子も黙る佐竹の兄ぃにそう言わせりゃ大したモンだよ、うちの書生君は」
「そう思うならはよ帰ったれ。お帰り言うてくれる奴がおるゆうて喜んどったがな」
「無粋なこと言わないでよ」
 こんなあからさまにお誘いしてるのにさあ。
 耳朶を食む行動を咎めないまま、佐竹は鳴海の背に手を回して浴衣を引き摺り落とした。しゅるり、布地と肌の擦れる音が指先から伝わる。そうして溜め息を一つ。
「ったく、難儀な奴やの」
「お互い様でしょ、愛人サン達ごめんねぇ。あ、ごめん、ついでにもういっこだけお願い」
「泊めるのはかまわん」
「それもお願いするけどさ。健ちゃん」
 手のひらを身体に滑らせれば、腰の少し背中側に引っかかりを覚える。引き攣れた大きな傷痕を撫ぜる度に揺れる身体をゆっくり押し倒す途中、佐竹の耳に押し込められたのは殆ど吐息に近い囁きだった。

「酷くして」

 頭に血が上るとはこういうことだ、とどこか冷静な部分が判断するのを思考の片隅で捉えながら佐竹は女の身体を布団に叩き付けた。布団と背の間にいくらも距離がなかったとはいえそれなりの衝撃はあったのか、鳴海がちいさく呻く。
「、っとにお前は!」
「く、はは、ふっ」
 困ったような馬鹿にしたような、曖昧な表情のまま笑おうとした鳴海の唇を乱暴なくちづけで塞ぐ。湧き上がる衝動はおそらく怒りであり情欲でありそれ以外のもっと単純な気持ちも孕んでいる複雑なものだ。混ざり合うそれらの中で哀れむ気持ちだけは表立たせまいとしながら蹂躙を続けた。
 乗ってやっている、そう思わなければとてもじゃないがやってられない。朝になれば「激しかったねー」などといいながらけらけら笑って辞する鳴海は想像に難くないのだ。
 難儀な奴やな。
 喘ぐ肢体には素直に欲を認め、佐竹は鳴海が望むようにその身体を抱いた。


 * * *


 好きだ、と形のいい唇が動くのを馬鹿のように惚けて見ていた。
 耳に届く声を心地良いと思った。
 かわいいと思っている。
 好きだと言うあのこは何でこっちを見ているんだ。
 しあわせになってよ。
 なあ雷堂。お願いだから。

「我は鳴海さんが好きだ」

 頭の中で繰り返し繰り返し響くその声からどうにも逃れられない。
 逃げて何もかもなかったことにする、そんなことは得意なはずなのに。
 与えられる痛みと快感で思考を塗り潰し、鳴海はちいさく果てを迎えた。
 




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20090401

雷堂さんが告白した夜のお話