「ぅあっつい」
「『ぅ』てタメが暑苦しいですイルカせんせ」
「ほっといてください」
 ことん、と卓袱台の上に何か置かれる音がしてイルカはゆっくりと瞼を持ち上げた。
 簾向こうの世界は隙間から見える分だけでも十分眩しい。
 陽炎もたっているであろう外を見るのが嫌でごろりと寝返りを打ち、簾に背を向ける。
 卓袱台の上に乗っているらしいガラス皿の端が蛍光灯の光をきらきら反射させるのが見えて、次いでカカシがコップに麦茶を注いでいる音が聞こえてきた。
 涼しげな水の音。
 から、からん、せまいガラスの中で氷が我先にと水面を争い、勝者が空気に触れる誇らしげな音。
「ほーら起きてくださいよ、おやつ食べましょ」
 枕にしていた二つ折りの座布団を引き抜いて広げられ、イルカは重たい後頭部を引きずりながら漸く身を起こした。のそのそと座布団を本来の目的で使用する。
「ね、葛切り。めちゃめちゃ冷えてるんでぬるくなんないうちに食べちゃいましょーね〜。ちなみに三杯酢と黒蜜とどっちもあります。黄粉も、一応」
 微妙に得意げな表情を隠しきれていないカカシだったが、イルカにはそれよりも我が子を甘やかす親の空気が流れていると感じられた。
 食べるよりも食べさせたい心理。
 美味いと感じるよりも美味いと感じて貰える方がいい。
 いや、そりゃ好きなひとにはそういうもんだけども。
「…カカシさんが」
「はい?」
 一気にコップの中身を半分ほど飲み干し、端に口を付けたまま喋るものだから声がくぐもっている。
「カカシさんが。何か知らないけど俺を甘やかすもんだから、俺はもうどうしようもないほど自堕落になってますよ。あぁ、あんたのせいじゃなくて俺のせいです。今のは言葉が悪かった」
 アカデミーの夏休みに入ってからは自宅でもできる書類と個人任務がイルカの仕事になっている。ナルトがいた頃のように担任でもない受付兼任の教師は補習もなく、普段と比べて家にいる時間はとてつもなく長かった。
 嬉しいような寂しいような気分になっていたのは最初の三日程だけだった。
 カカシが来るのだ。家に。
 そうして、普段と同じく風呂掃除をしてもらって、食事と酒、後はまぁお互いその気であれば抱き合って―となると思っていたらそれだけではなかった。
 昼時に会えるのが嬉しいのか何かと土産を持って訪ねてくるし、暑いから午前の任務ばかり引き受けているとかなんとか冗談めかして言いながらイルカの世話を焼いている。
 食事を作り、洗濯し、部屋を掃除し。まるで通い妻。
 そこはそれ一人暮らしの男がやる程度にでしかないが、本当にちいさいこどもにやる仕草でイルカに接する場面まででてくるほどだ。
「駄目ですか?」
「駄目というか。…申し訳ないです。こういうのは片方だけがやるもんじゃないでしょう」
 あまりにも優しい目でイルカを甘やかすものだからついついやってもらっていたけど、これじゃいけないと流石に思っている。
 思いながら今まで寝転がって居たワケだが。
「ヤですよ楽しいのに」
 ぱく、と音がしそうな勢いで黒蜜と黄粉がかかった葛切りを口に入れたカカシはあ〜美味い〜としあわせそうに息を吐きながら零し、その後できっぱりと言い切った。
「まぁ面倒をみるとか世話をするって言えばあいつら三人に対してもそうですけどね。それとは違ってね、せんせを可愛がるってのは楽しいもんですよ?普段昼とか休みの日しか会えないし、晩とか一応交代だったけど定時であがれるイルカせんせがいつも晩ご飯とかいろんな世話してくれてたし」
 ずず、とイルカは小鉢の中の三杯酢を少し啜って顔を顰めた。
「申し訳ないなぁとも思ってたんですけど、それよりイルカせんせはよく文句言わないなぁとも思ってたんです。ま、今回ので何となく理由はわかりましたよ。流石にめんどい時もあるけどね」
 不満がありゃ俺ら殴り合いの喧嘩してるわけだしそこまでいってないならいいんじゃないですかー。
 夏季限定ですしね。

 かろり、少しちいさくなった氷が均衡を崩しまた水面を争う。
 カカシよりも大分はやく葛切りを食べ終わったイルカは氷をこりこりと噛み砕きながらふうん、と目の前の銀糸を見た。


 世話。
 俺無しでは生きていけないあなたをこの手で。

 そんな気持ち、どこにだってある、独占欲。


「んじゃリクエストにお答えしてはたけカカシ上忍に夏休みの宿題です」
「はーいなんデショ、うみのイルカ先生」
 にやにやと笑いながら優等生よろしく手を挙げる様に微笑み一つ返し、イルカは勢いよく着ていた甚平の上を脱ぎ捨てた。
「風呂入ってあなたが言うところのイチャイチャしましょうか」
 これにカカシは瞬きひとつ。
 すたすたと既に廊下を歩いていくイルカの背に遅れて話しかける。
「いーの、まだ昼だよ?」
「いいんじゃないですか。夏だし」
「夏だし?」
 うくく、カカシは喉を鳴らす。
 わざとであろうイルカが置き去りにした甚平をひっ掴むと、愛しいひとに抱きつくべく何歩もない廊下を駆けた。

「夏休みだし、デショ」





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200308?


イベントペーパー小話。
メモに「ところてん(黒みつか三杯酢)・甘えの種類」とだけ書いてました。
そんで書いた話がこんな感じに。