ちゃちゃちゃ、と小気味いい音がする。 ボールの中で割りほぐされていく卵は本日のお土産だ。 「あー、秋刀魚食べたいな…」 いつまでも残暑が厳しいのかと覚悟していたのに、九月も半ば、あっけなく涼しい風が吹くようになってしまった。それだけで空が高い。気持ちいい光は秋の訪れを告げ、自然と好物を思い出した。 「イルカ先生は肉の方が好きだもんなぁ」 言いながら濃縮のめんつゆを薄めて卵に加えていく。掻き混ぜる右手はずっととまらない。ゆり根の変わりのじゃが芋だの、冷凍庫の隅に眠っていたエビだのなんやかやと余り物とうどんを一気に茹でてザルにあけ、丼に放り込んで卵液を注ぎ込む。 逆の手で茶漉しを持って直接注ぎ、アルミホイルで蓋をすれば後はまぁ、文明の利器がどうにかしてくれるのだし。 「蒸し設定〜、蒸し設定〜、軽ーく五分ぐーらーい〜」 下手な調子の歌は以前イルカに笑われたものだ。そんなことを言われても勝手に口をついて出てくるんだからしょうがないんだけど。 使った調理器具を洗い、箸やコップを用意していれば五分なんてすぐ経ってしまう。チン、としばらく前に持ち込んだ電子レンジが音を立てたのを合図にカカシは寝室に向かって叫んだ。 「イルカせんせー、ごはーん!」 『あなたの体温、その3分の2の空気。』 「これまた豪快な」 「小田巻蒸しっつーんですか。まぁ適当ですが、どーぞ」 いただきます、と男二人向き合って手を合わせる。 「巨大な茶碗蒸しですよね、これ」 「そーですね。お口に合いませんでしたか?」 「まさか!美味いです。カカシさんのご飯はいつも」 にか、とやたらに幼い笑顔でイルカが笑う。あぁこの顔があるから張り切っちゃうんだよなぁ。縁側から入る少しだけ冷えた風を受けながらカカシは思った。 涼しい気候はなんだか熱いものを食べても大丈夫かと思わせてくれたのでこのメニューにしたのだが、イルカがよろこんでくれたなら成功だろう。 ちゅるん、ぞぞぞ、会話の間に入る音。食べる音だ。 晴れた秋の昼下がり。 「で、もう胃の具合はいいんですかね。それだけ食えたら心配入らないとは思いますけど」 「薬も飲みましたし、ゆっくり寝たから大丈夫ですよ。すみません、心配かけちまって」 「普段悪酔いしない人ですもん。ま、疲れてたんでしょう」 ここのところイルカがハードな毎日を送っていたことを知っている。アカデミーが夏休みでも教師が夏休み、というわけにはいかないのだ。教員の研修もあり、今の内にと個人の任務もこなしていたし、九月に入れば宿題の評定や文化祭が待っている。夏休み中生徒に準備させる、大きなイベントのそれが終わったのが昨日の晩。 打ち上げに出席して帰ってきたイルカは玄関先でカカシに抱きついたまま眠ってしまった。カカシさんだいすき、なんてうれしい言葉だけ残して。 「…にやにやしないでください」 昨晩の醜態を恥じているのか、イルカの顔は赤い。目をそらしてしまうのをかわいいと思いながらも顔が見れないのは寂しくて、丼の中からエビを奪えば「あー!」と大声を出して反応する。 「隙がある方が悪いんですよ〜」 「俺のエビ!」 しばしエビを巡る攻防が続き、行儀が悪いとわかっていながらも箸がめまぐるしく卓袱台の上を行き来する。 「ふ」 そしてどちらともなく笑い出してしまってから、カカシは笑って大きく開けられたイルカの口にエビを放りこんでやった。 ちりん、と年中提げっぱなしの風鈴が鳴る。 「秋ですね」 さっきイルカがそう言ったのは濃い赤のトンボが庭先を飛んでいったせいだ。八月の後半にはもう見ることが出来た風景だが、その時には「気の早い」としか思わなかったそれが今はしっくりくる。 空の青さはどことなくまだ夏の気配を残し、それでもあの深い影を生む光は来年までお預けになったようだった。 涼しい、少し勢いのある風が干した布団を撫でて通りすぎていく。夏用の軽いそれはふわりふわりと波打つように動いていた。もうすっかり乾いてしまったのだろう。それでも日の匂いが好きなイルカのことを考えて、夕方まで取り込むのはやめておこうと思った。 …イルカは今も寝ている。 食べたら掃除しますかー、なんて言っていたのに、食後の休憩で縁側に座っている内に眠ってしまったらしい。しょうがないので畳の所まで引き摺って薄手のタオルをかけておいた。この気候なら掛け布が気持ちいいだろう。 朝寝の娯楽を思い出し、カカシはイルカのひっつめにされた髪をほどいて撫でつけてやった。ううん、となにやらもごもご言っている。 「どんな夢見てんですか」 答えがないとわかっていても呟いて、残りの洗濯物を干しに庭へ降りた。今日は天気が良いから、溜まった洗濯物を一掃できる。カカシだって忙しくないわけではない。それでも任務ばかりで慌ただしいのには慣れてしまったし、いつも通りといえばいつも通りなのだ。この時期イルカに懐けないことは経験済みとはいえ、少しさみしいけれど、まぁ仕方がない。 恋愛だけで生きていけるわけでもないし、忍びだし。 つらつらとどうでもいいことを考えながら服を干していく。 あまり家事が得意ではないくせに変なところで几帳面なイルカは、脱水の終わった洗濯物達を一度畳んでから干すように、とカカシに言う。どうせ干す時に広げてしまうのだし乾けばアイロンをかけることになるのだから別にいいんじゃないかと言ったら何だか喧嘩になったのも互いの家に泊まりだした懐かしい頃の話だ。 結局「じゃあカカシさんの分だけ畳みませんよ」と言われてこちらが折れた。わざわざ畳むのは面倒なものの、綺麗に干せるのは確かだ。あの時のイルカの勝ち誇った顔といったら! くくく、と喉を鳴らしてカカシは作業を続けた。 今はイルカの目がないから相変わらずパン、と広げるだけでハンガーにかけていく。この話をアスマにしたらのろけるなと殴られたっけ。でもアスマだって月見うどんの卵を残す残さないで紅と言い争っていたから同類のはずだ。 洗濯籠を物干し台の足下に置いたままで縁側に戻った。ちりん、とまた風鈴が鳴るのを聴きながらぼんやりと庭を見る。やっぱり良い天気だ。忍犬達と遊んでやればよかったかもしれない。 少し固く短い毛に指先を突っ込んだ時のさくさくした感触。そんなものを思い返し、抱きかかえた時の体温を振り返っていれば腰回りに熱が溜まった。別に色っぽい意味じゃない。イルカが抱きついたからだ。 「カカシさんー」 一旦カカシの臍の前で手を組んだはずのイルカは器用に身体を動かし、片腿に顎を乗せてきた。 「起きましたか」 「そりゃもう気分爽快です。…すんません、洗濯とか」 「暇な方がやればいいでしょ」 「でも」 不満そうなイルカの髪を手櫛で梳いてやる。ところどころ絡まったのをほどいているとイルカが気持ちよさそうに目を細めた。すぐにまた眉を寄せてしまったけれど。 「ただでさえ、料理作ってもらってるのに…俺があんまりうまくないせいですけど」 「そう?好きでやってることですよ」 別にイルカが飛び抜けて料理が下手だとは思わない。そこそこオールマイティにこなせての忍び、任務で何が必要かわからないからだ。確かに上手だとまでは思わないが、焼きそば、カレー、炒飯、どれも普通に食べられる程度のもので。都合が付かなかったり体調の悪い時にはイルカが料理担当になるわけで、これはこれでうまくいっているのだとカカシは思っている。 「それに、料理なんて金がありゃ買って済ませられるもんなんですから。やりたい奴とやらなきゃいけない奴がやればいいんですよ」 これはせんせいの受け売りですけどね、と言えばイルカがふにゃりと笑った。笑い顔に何故か部下を思い出し、ナルトはやらなきゃいけない奴ですけどね。と付け足してみせる。 野菜をあまりとらないのはこの師弟に通じるものだ。もっともイルカはナルトのように味が嫌いだとか食べられないというわけではなく、調理するのが面倒くさくて疎遠だったんだ、と言い訳していた。肉は焼けば食べられる、と言うのだから困ったものだ。生野菜でも囓ってろと言いかけて止めた気がする。 「晩ご飯、何が食べたいですか?元気なら一緒に買い物行きましょうよ」 秋刀魚が食べたい。それはこころの中だけで呟いてイルカを誘った。イルカは網を出すのが手間らしく魚を好まないけれど、カカシが焼くなら問題ないだろう。旬の脂がのった秋刀魚を店先で見れば食べたくなるに違いない。 しかし返ってきたのは承諾の言葉ではなく縋るようなイルカの腕だった。 「せんせ?」 首に腕が絡められて、引き寄せられた先で軽い唇の接触。 重ねるだけのそれは体勢が辛かったのかあっという間に終わってしまう。 「…カカシさんが連休なのって火影様のお心遣いですよね。俺は休み取れなくて明日っからまた仕事ですけど」 「おこころづかい?」 「誕生日でしょう明日。忘れてましたか」 あ、と思わず声に出せばイルカが喉を鳴らした。ようやく起こした身体は部屋着の浴衣が乱れて肌の色を見せている。 「今年はカリキュラムが変わって文化祭がずれちまったんで、祝えないかとひやひやしてたんですが…ギリギリ大丈夫でしたね」 それでも明日は休めないんですけど。どっか食いに行きますか。 楽しそうに語るイルカは話すのをやめないままにゆるりと抱きついてくる。あたたかな拘束は酷く幸せで、カカシはその背中に手を回して抱き返した。 忙しかったから、こんな風に触れるのは久しぶりだ。そして肌を重ねることはもっと。 ぞく、と覚えのある感覚が身体を走り、カカシは目を瞑った。 「先生ー、もう平気ですか?」 「これだけゆっくりしたら平気ですよ、もう元気です。朝寝と昼寝しまくったから夜寝れないかも」 声だけは悪戯小僧のように言うイルカを見れば、黒い瞳は熱を込めてカカシを見つめていた。接触がなかったのはお互い様。自分でも嫌になるぐらいの甘えた声音で囁いてみる。 「…抱いていい?」 「誰のためにとっとと回復しようって寝てたと思ってんですか…」 貴重な休み使って、と言うイルカがカカシを畳に引き摺り込む。日の光に灼けた井草があたたかい。 「俺のため?」 「もうちょっと自惚れてください」 たん、とイルカの腕で障子が滑り、縁側と室内が遮断された。明るいけれど明るくない、光源のない昼間の部屋。覆い被さってくるイルカとキスを続ける。頬に首にあたる黒髪の先がくすぐったい。 ふふ。 笑いの気配が伝わったのか、イルカが顔を話して伺ってくる。別にたいしたことはない。せっかくだから、とカカシは再度訪ねてみた。ほんとうの答えを知っているから、どう答えてくれなくてもかまわないのだし。 「抱いていい、イルカせんせ?」 か、と今更頬を染めたイルカは驚くほど素直に答えた。伏せられた睫毛が震えるのは羞恥でだろうか。目元が染まっているのもかわいい。 「抱いてください」 はやく、とねだられてもまだ足りない。 組み伏せたイルカはずっと縋る目をしているのに。 明るいと思っていた部屋は水音と衣擦れの音であっという間に暗く、しめった空間に変わってしまった。 刺激にびくびくと震える身体は汗ばんで、舌で辿ると塩の味がした。 「も、やだ……」 抱いてくれと願った口でやめてくれという。カカシは薄く笑って口に含んだ乳首を強く吸い上げた。あ、あ、と涙を滲ませてイルカが身体をひきつらせる。先走りでべとべとに濡れているそこには一度も触れず、腰や尻を撫で回してやる。 ちゅぱ、とわざと音を立てて唇を話せば、たっぷり絡ませていた唾液がてらてらとそこを光らせていた。 「ぬるぬるになってる。きもちいー?」 反対側にも舌で愛撫を与え、濡らした方には指で刺激を与えてやる。凝ったそれは独特の弾力を指先に伝え、ぬめりで逃げていくのを爪で阻む。 「ふぁあ、ひ、ひど…」 「んー?酷い?イルカせんせこんなに感じまくった顔してるのに?」 話す間はかすかな刺激だけを送る。もどかしげに揺れる腰がカカシに猛ったものを押しつけようとするのを器用に避け、もう一度イルカの胸に顔を埋めた。カカシの髪をまさぐる指先は快感に震えている。 摘み、指の腹でぐねぐねと捏ねてやる。滑らないように力を込めたそれには、痛くしているという自覚があった。咥えた方も歯で挟んで引き上げれば、喉の奥で悲鳴を上げてイルカが跳ねた。 「っ、ーっ、う、ふぅ」 「ちょっとイッちゃったね」 浮かんだ涙を唇で吸い取り、イルカの呼吸が落ち着くのを待たずにその腹を幾度も撫でた。こぼれた先走りや精液に濡れる肌を撫でつけ、いやらしい音を立てる。そうすればイルカが恥ずかしがって余計に感じるのを知っているからだ。 「はやく、って」 「うん。でもイルカせんせのイイ顔見たかったから。見たら見たで俺ももう限界だけど…」 仕返しのようにイルカの太股へ腰を擦りつける。適当に処理してたとはいえ溜まっているのだ。このまま押しつけて出してしまおうか。イルカを抉りたい衝動はあるが今それに従うといくらも経たないうちにイッてしまう。 「もたなさそ…せんせ、手でしてよ」 一回ぬかせて。 中途半端に放置しているイルカはつらいに違いない。わかってはいるけれど最初は後ろでいかせてやりたかった。抱いてください、といったのだからそうしていると変に理屈を付けて自分を納得させる。 「ねぇ、せんせぇ」 「やです」 「せんせぇ」 イルカは甘えた声に弱い。知っているから言ったというのに、イルカはカカシの髪をひっつかんで目線を合わせてくる。 「いたいいたいいたい」 「痛くしてんですから、当たり前、です。も…イッてもいいから、いれて、くださ」 戦場で死にかけるより心臓に悪いことを平気で言ってくれたものだから思わずそれだけでイきそうになった。おざなりに指で慣らしてそこを広げる。してもしなくても同じな気がしたがいきなり突っ込むことへの罪悪感をそれで拭い去ると、足を抱えて無遠慮に押し入った。 「あは…ぁっ」 苦しげなイルカの顔。でも確実に愉悦が窺える。呻きと喘ぎの中間ほどのそれは余韻が酷く甘い。たまらない。根本まで挿入してからさらにぐいぐいと二・三度奥を押し、カカシは情欲に支配された頭でイルカに口付けた。 「…だいすき」 後はイルカの肩口に顔を埋めてがむしゃらに腰を振ったのでどんな反応があったのかわからない。すぐそばまで来ていた絶頂に容易く辿り着き、大分たってから我に返れば互いの腹の間がべっちゃりと濡れて糸を引いていた。 ちりん、と少し遠くで鳴る風鈴の音で目が覚めた。少し肌寒い空気は紛れもなく朝のそれで、珍しい時間に起きたものだと思う。今日も休みなのに。隣にイルカがいないのがさみしい。 結局昨日は畳の上で睦み合って、一度出した後抜かずに二度目へ突入して。落ち着いてから今度はじっくり攻めたせいか、イルカは乱れに乱れてカカシを楽しませてくれた。散々弄った乳首を同時に虐めてやれば敏感になりすぎているのか、撫でるだけでも泣いて悶えていたし。今思い出しても興奮する。 そうして果てた後は風呂に入ってから夜まで寝てしまった。布団を取り込み、乾いた空気を含んだそれを味わうために二人でぼすんと飛び込んだまま眠ってしまったのだ。気が付けばもう暗いどころではなかった。 濃いセックスに疲れた身体は空腹を訴え、お互い作る元気もなくインスタントですませた。一缶だけビールを飲んで。一晩ぐらい放置してもかまわない、とまた布団に潜り込んだのが日が変わる少し前。 ほんの少しの寒さ、薄布一枚で得ているあたたかさ。今はないけれど乾いた肌で感じる自分以外の体温。過ごしやすくて気持ちのいい気候、なんだろう。 今日は誕生日だ。この季節に生まれてよかったかもしれない。 「カカシさーん、起きてます?」 すぱん、と勢いよく襖を開けて入っていたイルカは昨晩のことなんて微塵も感じさせないほど朝の空気が似合う。もうきっちり結い上げられた髪に苦笑してひらひらと手を振った。起きるにはまだはやい、と思う。 「…ごはんできたんで、よかったらどうぞ」 「イルカせんせ作ってくれたんですか?あんなに『俺がやってもうまくないから』って作ってくれなかったのに?」 うれしいけど意外だ。そんな感情が表情に出ていたのか、イルカは困ったような照れたような笑顔を向けた。 「カカシさんが言ったんでしょう、料理はやりたい奴とやらなきゃいけない奴がやればいいんだって。…俺が作りたかったんですよ」 あいかわらずイルカはカカシをよろこばせる存在だった。思わず抱きつこうとしたのをするりとかわされ、とっとと先に居間へ戻ってしまう。つれないもんだ、と襟足を掻き、追いかけるため立ち上がれば視線の先のイルカがふいに振り返った。 「おはようございます。それと、お誕生日おめでとう御座います」 かなわない。 「おはよーございます。…ありがとう、ございます」 居間に入れば見慣れた卓袱台には、尻尾と頭の先がやや炭化した秋刀魚がたっぷりの大根下ろしと半分に切られた酢橘と共に、皿の上でふんぞり返っていた。 「ほんと、かなわないなぁ…」 自分の誕生日だろうが関係ない。 イルカが出勤したら洗濯物にいつもより気合いを入れてアイロンをかけ、きのう汚した浴衣の替えを買いに行こう。そしてイルカの好きな肉料理を卓袱台一杯に並べてやる。 だってカカシがそうしたいのだから。 一日の段取りを頭に浮かべ、カカシはイルカの向かいに座っていただきますと手をあわせた。 了
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2005年の秋、初のカカイルオンリーで作ったコピ本。
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