「とりっくおあ~」 「ほれ」 いつもの生物準備室に乗り込めば、目的の教師は無造作に剥き出しの角砂糖を投げてきた。イルカの机は並んだ一番奥の端にあるから、ごちゃごちゃしたいろんなもの(マグやコーヒー瓶、メスの替え刃、錆びたピンセット、植木鋏、何年か分の実験器具カタログ、そしてもちろん開けっ放しの袋に入った角砂糖も)がのっけられた棚がすぐ横だ。 「…最後まで言わせてくれたっていいのに」 「ハロウィンってあたしがはたけぐらいん時はあんま何もなかったけどなぁ」 今日何人に言われただろ、トリック・オア・トリート。 カカシが入ってきてからずっと、角砂糖を投げた時以外イルカは下を向いている。しゅ、しゅ、と赤いサインペンがプリントの上を滑る。 空いていた横の椅子に勝手に座ってのぞき込めば、以前に習った内容が記されていた。 「2年って今の時期そんな内容でしたっけ?」 「ちょこちょこ変わるもんだから…それに文系のだし。はたけのときは実験だったっけ?」 「ムシでした」 「唾液腺染色体かー、前なら鳥頭の糸鋸解剖だったけど。それこそ牛の脳も解剖したし」 にか、と笑って漸くイルカはカカシを見た。 そのことにちょっとだけ満足して、もらった角砂糖を指先に挟んだままで机に寝そべる。だいたいこれをどうしたらいいのだろう。 「そりゃ…またえぐいことを」 「ま、確かに部屋中に叫び声上がってたけど、そういうことでもないと本当に視神経が交差してるとか生で見れる機会とかないし、あたしは楽しかったなぁ」 「…せんせの頃の話なんだ」 「ん?あー、そりゃ昔の話になるって。鳥インフルエンザ発覚前だから」 今は出来ない実験をくやしく思っているわけじゃない。 それでもイルカはどう捉えたのか、ぽん、とカカシの頭に手を置いた。ワックスでふわりと浮いた髪は遠慮なくかき混ぜられる。 「実験なんか大学行きゃもっと色々できるって。模試の結果良かったの見たよ」 「えー、担任じゃないのに見れるんですかぁ」 「教科担当が見たって問題ないっての。生物はいい感じだったからえらいえらい」 最後にざっと髪を梳くようにして指先が離れていく。 無感動に目で追いかけて、それからカカシは瞼をおろした。 「せんせー、コーヒー飲もうよ」 「自分でやんなさい」 「ご褒美ー!遺伝のとこ全部合ってたじゃないですか」 そこまで言うとイルカは笑って奥の流しまで消えた。 沸かしていたのか、すぐに出てきたふたつのマグはコーヒーでいっぱいだ。 「ドリップじゃない…」 「それは受かったらな」 しょっぼいお祝い、と零せば贅沢言うなと怒鳴られた。 「もっといーもんくださいよー、うみのせんせー」 コーヒーを置いたイルカは奥の冷蔵庫からなにやら取り出しているらしい。 誰かの土産でも出してくれるんだろうか。 そんなものよりもっともっと、欲しいものがあるのに。 ぽちゃん 寝そべったまま、イルカのマグに角砂糖を落としてしまう。ブラックを好むことを知っているからこれは単なる嫌がらせだ。 ざらつく感触を口に運んで舐めとれば、あたりまえの味がする。 「……、あま」 菓子パンは好きだけど、砂糖の甘味だってもちろん好きだけど、こんなにもあまくてにがいのにはかなわない。あまいのが好きなはずなのに。 「俺ってマゾだったんだなぁ…」 「何か言った?」 「何もないでーす」 もう壊れてると思うのに、でももっと崩壊は進んでいく。 指先を再度舐め、カカシはイルカが同じ甘味を味わうまでずっとその口を見ていた。
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