『アンジェリーク・ロマンチカ』

 







 ふわ、とやわらかい風がカーテンを揺らすのを見て、ジッリョネロファミリーの現ボスは同じぐらいにやわらかい笑みを浮かべた。あたたかい日差しが自慢の庭に降り注いでいるから、今日はファミリー達の匣兵器だって外に出してもらえるかもしれない。兵器という名がついていても扱う人間が扱う人間ならば立派なパートナーだ。
 いろんな可愛いもの達が集う姿はとてもすてきだろう。

「ユニ様、もう少しだけじっとしていて頂けますか」
「ああ、ごめんなさい!」

 視線だけで窓を見ていたはずなのに、だんだんと頭ごと向いてしまっていたことに漸く気づく。せっかく髪を梳いてもらっているのにこれでは申し訳ない、と背筋を伸ばして前を向けば、そんなに固くならないで下さいと笑いの滲んだ声が頭上から降ってきた。
 しゅ、しゅる、と梳るたびに黒髪は流れて光沢を増していく。心地良い刺激にうっとりと目を閉じて、膝の上で眠る黒狐の毛を撫ぜた。やわらかい毛も固いさくさくした毛も指先に気持ちいい。少し暑いかな、と思う前に風が頬をそっと撫ぜてくれる。

「リボンは白でよろしいですか」
「ええ、ありがとう。それでお願いします……ねえ幻騎士」
「はい」

 しゅ、と布の擦れる音がして真白いリボンが結ばれたことを知る。久々のゆっくりできる時間だからと出かけることを勧めてくれたのは幻騎士だ。受け入れられているとはいえ新米のボスを気遣ってくれての行動なのかどうかはわからないが、ユニはそれを有り難いものとして受け止めている。こうして髪を整えてくれることも。もちろん、そこには他の誰よりも幻騎士のそれが巧いから、というのもあるのだけれど。スーツではなく黒いシャツとパンツを着ただけの彼は午後から任務があるのをボスであるユニは知っている。しかし知っているからと自分の願いを我慢することはない。
 些細な願い程大切なものはなかったりするのだから。

「今はそれほど忙しくないでしょう。なら、急だけれど今晩みんなで食事が出来たらと思うの。母が亡くなってからずっとばたばたしていたし……また、とても忙しくなってしまうと思うから、せっかくいい天気の今日にでも」

 髪に絡まないようにリボンを流していた指先が少しだけ止まり、そしてまた髪先を梳いた。座っているユニからは幻騎士の顔は見えない。化粧台でもないこの椅子は向かいに鏡等なく、それでも信用しているから特に問題はなかった。
 呪いと称される能力でこれからを知ってしまったと、幻騎士にはバレただろう。隠さずに言ったのだから当然だが、様々な負担をかけている彼にはこのぐらいして見せるべきだとユニは思っている。
 ……これからのことを考えれば足りないぐらいだ。

「ユニ様の願いなら叶えることが私の役目です。とはいえ私も任務がありますので」
「ええ、もちろん知っています、けど」

 さら、と指先は結っていない頭頂あたりの髪を一度すくって落とした。

「野猿と、後は太猿に準備を任せましょう。あいつらはこういうのがとてもうまいですから。私はユニ様の願いとあらば、必ず夕刻には帰還します」
「ありがとう…!!」

 黒狐がいるから動けない。それでも顔が見たくてユニが精一杯上を見ると、逆さまになった世界で幻騎士がうっすらと笑っていた。少しだけ細められた目と持ち上がった口の端は見落としそうな程些細な変化だが、知っていればとてもとてもやさしい笑顔だ。

「少しだけならまだ時間があるかしら。お散歩に行きませんか?」

 うれしい気持ちそのままにユニが言葉を告げれば、いえ、と幻騎士は言って手のひらでそっとユニの頭を押して戻した。あのままの体勢を続ければ確かに首が痛くなってしまう。

「いえ、申し訳ありませんが少々準備がありますので。それに、そろそろエスコート役が戻ってくる頃でしょう。その役目は奴に譲りま」
「なんでここにいるんだあんたらは!!!」

 静かな幻騎士の声に被さってドアが乱暴に開けられると、息を切らしたγが扉に凭れ掛かりながら二人を見ていた。

「「γ」」
「ハモんなくていい!ったく、どれだけ探したと…!」
「何しに来た」
「俺が俺の部屋に来て何の文句があんだこの馬鹿やろうが!」

 ぜえぜえと肩で息をするγの声で起きたのか、黒狐がユニの膝から降りてとことことγに歩み寄って行く。温もりが離れて残念がるユニにγが告げたのは謝罪だった。

「っと、まてまてお前ら……すみません姫、こいつらがお世話になっていたようで」
「いいんです。その子達に会いたかったからγの部屋にお邪魔してたんですもの。髪を結って貰うだけなら私の部屋でよかったんですけど、その子達がかわいくてかわいくて」

 自分たちの話だと気づいたのか、二匹の狐はγに擦り寄るとまたユニの方へと歩いて行く。耳元を擦る小さな指先が心地よいのか真っ黒な瞳を瞼で隠して甘える姿は確かにかわいいものだ。

「では」

 黒狐に意識を向けている間に、自分の役目は終了したと判断したのか幻騎士が短い挨拶だけよこして去ろうとしていた。

「任せた」
「お前に言われる筋合いはない。……ヘマすんなよ」
「ありがとうございました。待ってます」

 γとはすれ違い様にだけ言葉を交わし、ユニが礼を告げれば幻騎士は一度だけ振り返って礼をした。部屋を出て向かった方向から考えれば野猿と太猿を捕まえてから任務に向かうのだろう。

「γ、私を捜してたって言いましたよね。なにか用事がありました?」

 ぺろ、と指先を黒狐に舐められてユニが目を細める。その様を見ているγがまた目を細めているのはふたりとも気づいていないがある意味では恒例の光景だった。

「いや、姫がオフだと聞いたもんですから、こいつらと遊んで頂ければと思っただけだったんですけど。姫ご自身に先を越されていたようで」
「まあ!」

 ありがとう、と笑えばいえ、と言葉が返される。ふわりと風が整えてもらったばかりの髪を揺らし、その空気は外へとユニを誘った。今日はいい天気だ。風がやわらかい。

「今晩はファミリーで食事をすることにしました。まあ、みんなのことだからパーティーになるでしょうしきっと楽しいと思うわ」
「へえ、そりゃまた野猿あたりがはしゃぎそうな。なら俺は手が空いてるし監督でもしてきますか」
「ダメ!」

 ジッリョネロのボスとはいえ、普段なら礼儀正しく大人しい少女であることには変わらない。そのユニから出た強い否定の言葉に驚いたのか、γは一瞬大きく目を開くと、ぱちりと大きくまばたきした。

「俺、は何かまずいことをいいましたかね」
「違いますそうじゃないんです。その…γは普段から色々とみんなの面倒を見ていますし、もう幻騎士から野猿や太猿に連絡もいってるから、今回ぐらいはゆっくりしてもらいたいと思って。私の我侭で急に決めたことだし」
「お心遣い感謝しますよ、普段そんな大変なことでもないんだが」
「そう思えるのはγが強いからですよ。たまにはあなたもゆっくりしてください。……いい天気だし外に行きませんか?その子達もいっしょに。幻騎士には断られてしまったし」

 あのヤロウ、とユニの言葉でγが幻騎士に悪態をついたのがいつも通り過ぎておかしくて、思わずユニは声に出して笑ってしまった。なんだかんだといいつつ仲の良い我がファミリー達はほんとうに愛すべき存在だと思う。夜の食事会になれば料理と酒が山ほど摘まれ、野猿はユニ様これがおすすめだよーといつもの高いテンションのまま気に入りのワインを勧めてくるだろうし、太猿はなんやかやと他のファミリーの面倒を見てユニに話しかけたい下っ端をけしかけてくるのだろう。我らがボスはそんな懐の小さいオンナじゃねえぞ、だなんて言いながら。どれだけ厳しい任務でも幻騎士は乾杯の前には必ず戻ってきてずっと料理や皿の世話(やγの窘め)役に徹するだろうし、γは兄貴兄貴と慕ってくるファミリー達を盛り上げながらユニとも酒を交わし、遠くに居て目が合えばふと微笑むのだ。
 ほら、こんなに簡単に予想が付く未来がとても愛しい。

「じゃあま、行きますかお姫様。庭行きを御所望で?」
「はい!」

 はしゃいだ狐達が擦り寄ってくるのに時折足を取られながら、まずは中庭へ、そして続く庭園へ。どこまでも高い高い青空は済んだ色だ。途中で出会うファミリー達はみんなきもちよく声を駆けてくれる。時折γをからかいながら。

「ねえγ」

 萌える緑と青い空と白い雲。足下には狐。
 振り返って笑うユニが少し光を背負っていたからか、γの目が細められる。

「はい?」

 いい天気。気持ちいい風。あなたがいること。
 綺麗に結われた髪と真白いリボンを風が揺らして去って行く。


「私、あなたたちのことだいすきです!」


 本音は狐以外で聞いていた者の頬を赤く染め、それから空に溶けてしまった。














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初出/20080815/無料配布本「アンジェリーク・ロマンチカ」

正直幻たんに夢を見過ぎました。
どこまで幻騎士が大好きなのか己…!
誌名はバラの名前から。複色系の愛いやつです。
ジッリョはほかほかだと信じてる。