『ハッピーチャイルドソング』

 






「ランチア!チア!早く!」
「ちょ、ランボこけちゃ…あーあ、こけちゃった」
 フゥ太の心配は口に出し切る前に現実のものになってしまったらしい。目的地に到着したと思った途端にすっ転んだランボ、その上でうれしそうに飛び跳ねるイーピン、幼いながら面倒を見るフゥ太。ランチアの視界ではそんな三人が晴れた青い空の下でそれぞれにはしゃいでいて、なんとも微笑ましいな、と思わず喉を鳴らした。せっかく天気がいいんだからどこかお出かけしてくれば、という奈々の提案によるピクニックはチビ達に大好評だ。提案者が町内会の用事で参加出来なかったのはこの場にいる全員が残念に思うところだが、それでも楽しいことには変わりない。
 平日だからツナと獄寺と山本は学校だ。家からそう遠くない公園は遊具よりも芝生や野原がほとんどで、ひなたぼっこを楽しむ老人やベビーカーの横でうとうとと眠っている母親、きゃいきゃいと走り回るこどもがちらほらといるぐらいのもの。それでも奈々特製の弁当を持っておでかけ、というだけで特にランボとイーピンははしゃぎまわっている。
「あーはははランボさんいっちばーん!イーピンはにばーげふっ」
「こうなるってわかるんだから言わなきゃいいのに…」
 ゆるやかな丘の、それでも頂上が目指す先。てっぺんでびしっと指を空に突きつけたランボは、そのポーズのままイーピンに蹴りを入れられころころと転げ落ちていく。見たところ障害物はないから怪我の心配もないだろう。
「イーピン、ランボでサッカーしちゃだめ!」
「荷物はみてるから、行って来い」
「え、でも……」
「いいから。俺は少し疲れたから休憩するとしよう」
 丘のてっぺんでお昼にしよう。公園へ向かう道中四人でした約束をきっちり守り、着くなり青と白とピンクの縦縞ビニルシートを敷くのに手間取っているフゥ太の手から荷物が奪われた。チビ二人に注意を向けながら身体より大きいシートを敷くのは大変だ。ランチアの手が腕があっという間にシートを広げ、隅を小石で固定していくのを見ながらフゥ太はしばらく戸惑っていたが、ランチアが座ってしまうとにこりと笑って背負っていたリュックを置いた。
「ありがとうチア兄!じゃ、なにかお土産持ってくるね!」
「ああ。楽しみにしている」
「まかせて!」
 文字通り転がっていったランボとは違い転がるように丘を駆け下りて、フゥ太の背中があっという間に遠くなる。転がりきった先で何か見つけたのか、熱心に草の間を見つめているチビ二人に追いついたフゥ太の歓声が遠く聞こえた。どうやら興味を引くものがあったようだ。
 すこしだけ空に浮かんでいる雲の影がちらほらと草の上に落ちている。寝そべって青空を見上げ、夜が忘れて行ってしまったような、薄い真昼の月の白さに目を細める。ランチアの体躯ではシートを全部使っても入りきらないので腿の部分からは全て芝生に投げ出しているが、特にごつごつして痛いということもなかった。湿気を含んだ土の匂いと、青い緑の匂いが混じり合ってどこか懐かしい。
「……いい天気だ」
 こうしてのんびりしていることがまだどこかで信じられない。沢田家ではいつもいつもこんな空気を感じているけれど、まだ慣れないのもしょうがない、と誰よりもランチア自身が思っている。こども達に懐かれても、なんで自分が、と思ってしまうぐらいなのだ。それでもちいさいものがかわいらしいことは間違いようがない。
 ひゅう、と少しだけ強く吹いた風が肌を掠めて飛んでいった。
 かさこそ鳴る草の触れ合いは耳に心地良い。混じって聞こえるのはこどもの押し殺した息と、こらえきれなくてこぼれてしまっている笑いの気配だ。
 だんだんと近づいてくる三人分のあたたかさは、それでもこっそり隠れているつもりなのだろう。目を閉じて瞼の裏の赤さを見つめてから、ランチアはひとつ息をついた。
「そーれ!!」
 ぱらぱらと降ってくるのは避けられるけれどそういうわけにもいかなくて、顔や身体の表面のいろいろで受ける軽い感触が妙にくすぐったい。
「お前ら」
「びっくりした!?」
「わーいランチア花まみれだもんねー!」
 きゃあ、と三者三様の嬌声が丘に生まれ、むくりと半身を起こせば色とりどりの花弁が辺りに散った。ぐるぐるとランチアの周りを駆けるこども達はとても楽しそうで、ランボがこけるとその上にフゥ太、さらに上にイーピンがのっかってまたきゃいきゃいと騒いでいる。こども特有の声は柔らかい空気を鋭く裂いてランチアの耳へと向かう。
「ごはんごはーん、ママンはランボさんにおいしいのくれてる?」
「奈々さんが作ったので美味しくなかったのがあったか?」
「「「ナイ!」」」
 身体のあちこちにひっついたままの花びらを取ることはせず、ランチアはシートの真ん中へバスケットをずらして蓋を開けた。途端に覗き込んでくるちいさな頭をどうにか離してビニル袋にしまわれていたお手拭きを渡す。手を拭くことをいやがるランボだって柄がぶどうなら飛んでやってくるのだから、見越している奈々はたいしたものだなと思う。いや、全ての母親というものがそうなのかもしれない。
 手を合わせて、いただきます。
 いつも通りの流れを踏んで、後は好きなように食べるだけだ。きゅうりとチーズ、ポテトサラダとハム、たまご、トマトとレタスのサンドウィッチ。ケチャップで炒めたウインナー。カニかまをちくわでまいたもの。手羽先のからあげ。ミニトマト、アスパラのベーコン巻き、糸こんにゃくと豚のミンチを甘辛く煮付けたもの。鰹節入りの出汁巻き卵。ちいさなロールキャベツ。
 デザートに、と人数分ちいさな風呂敷でつつまれているみかんと林檎の切ったのがタッパに詰まって出番を待っている。
「おいしい」
 しあわせそうな顔でぱくついてる三人を見ればこちらもしあわせになるのは当たり前のことで、ついでに食欲まで刺激されてランチアもバスケットに手を伸ばした。もちろん熱々というわけにはいかなくても、冷めきっているとも言い切れない微妙な温度だって味のうちだ。
「ん、イーピンこれ気に入ったの?」
 じゃあ僕も食べてみようかな、そんなことを言ったフゥ太が手を伸ばした先にあるのはサンドウィッチ。なんの変哲もないフルーツサンド。
「気に入ったか」
 ランチアの問いかけにイーピンが母国語と身振り手振りで返事をする。とてもおいしい、と好物を食べるのと同じ表情を見せるものだからつられて笑ってしまった。
「ならよかった、作ったかいがあるというものだ」
「えーチア兄つくったの!?」
「ランボさんも食べるもんねー!」
 わいわいと近い距離に居るのにさらに寄ってくる少年二人の手にもフルーツサンドを渡してやり、ランチアは自らも一切れ口に含んだ。
 パン、
 バター、
 ストロベリージャム、
 うっすら生クリーム、
 パン、
 缶詰のフルーツ、
 たっぷりの生クリーム、
 パン。
 二層のフルーツサンドは市販のものに比べれば生クリーム層が少なく、ジャムを使っているからまだあっさりと食べられる。
「おいしいー。チア兄フルーツサンドが好きなの?ラザニアぐらい?」
「それは…また、難しい質問だな」
 思いがけない問いに喉が鳴るのをそのままに、ランチアはフゥ太の髪をくしゃりと撫ぜた。太陽の光を溢れんばかりに浴びた柔らかい色の髪の毛は、あたたまっていてランチアの指先を慰めてくれる。
「そうだな、好きだ。俺がファミリーに拾われて最初に食べたのがこれだったしな」
 へええ、とまたみっつの声が重なる。
 ランチアの舌の記憶では、今日作ったものよりもあの日与えられたものの方が何倍も美味かったように思う。ただ記憶は美化されるものだから、ほんとうの所はたいして違わないのではないか、とも思っている。もう二度と食べることができない味とはきっとそういうものだ。
 ただ。
 こうしてちいさい懐いてくるものたちと食べるのだって、とんでもなく美味い。いつだって美味しい気持ちと思い出とともにあるのだから、ラザニアと同じようにこれもきっと「好物」に違いない。
 イーピンの頬に付いたクリームを拭ってやり、ランボが零す食べカスを地上の蟻にお裾分けして食事は続く。あらかた食べ終えた辺りでまたうずうずと遊びたそうなこどもを心良く送り出して、奈々への土産を集めてくるように、とだけ言った。
「奈々さんにお弁当のお礼をしないとな」
「オレっちならすーぐみつけちゃうよー」
「でもそれならチア兄にもあげたいよ」
 ランチアにもあーげるー、フゥ太やランボへ同意するようにランチアの肩でぴょんぴょんと跳ぶイーピンを地面に下ろして、ランチアはまだ身体のあちこちに付いている花弁をつまみ上げた。薄紅のそれは肉厚で、すこし時間が経ったのにまだ芳香とハリを維持してランチアの感覚を楽しませた。
「俺はもうもらっただろう。これで十分だ」
 すこしぐずったけれどランチアが譲らないことに折れたのか、それでも奈々のために意気揚々と三人が走っていく背を眺め、ランチアはもう一度シートの上で寝そべった。残っている食事の匂いには甘い香りも混じっていて、花弁は微かに芳香を滲ませている。肌で直接感じる太陽の光はあたたかく、それにも独特の香りが潜んでいる。
 光と匂いと風の世界で、遠く歓声が聞こえる。どうやらまたいいものを発見したらしい。うれしそうなこどもたちと、お礼を貰って同じくうれしそうな顔をするだろう奈々をかんたんに想像出来てしまい。ランチアはそんな自分と想像の内容に喉を鳴らした。ついでに身体も揺れ、ぱらぱらと風や地面に溶けている。
 ああ、あたたかい。
 しあわせという感覚におそるおそる手を伸ばしながら、ランチアは眠りの世界にひっそりと身を沈めていった。
















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フルーツサンドは別ジャンルでもネタにしました。昔働いてた喫茶店レシピ。
チアさんの周りではいつもこどもがきゃっきゃしてたらいい。