『ノクターン・オブ・ファンタジィ』

 






 あたたかい。
 
 ふ、となにかに意識を引き上げられ、ランチアはぱちぱちとまばたきをしてすこしだけ眠気を追い払った。暖かい室内、やわらかな匂い、布の感触、ここは。
「………?」
「あ、流石に起きちゃいました?」
 降ってくるツナの声にだんだんと状況を思い出す。そうだ、食事の約束をしていたから、ボンゴレから仕事を受けてこなした後でツナの気に入りだと言う店に行った。会うことが久々だからもう少し、と強請るのを断りきれず、私邸で酒を飲むことになった。話すことはつきないし勧められた酒は美味く、すこし過ごしているな、と思ったところまでは覚えている。
「疲れてたんでしょ、飲まなくなったなーと思ってたらもう寝てましたよ。すみません…俺が引き止めちゃったから」
「いや…こっちこそ申し訳ない。で、ボンゴレ」
「はい」
「……。なんでそこにいるんだ」
 覚醒してしまえば何故気づかなかったのかと頭を抱えたくなってしまった。なにしろ目の前の少年、ではなく青年は腹の上に乗っているのだ。仕立てのいいスーツから柔らかいシャツとパンツ、とおそらく部屋着に着替えている。ランチアを跨いで座っているツナの顔は驚く程近い。
「いえ、起きないなあって思って見てただけですよ」
「まあそれは…我ながら情けないが」
 生業を考えれば、例え長い付き合いのあるツナの前でだってここまで気を許してはいけない。気を許してはいけないのには理由がある。自らの生死に関わるからだ。
 ツナをいくら信用しているとはいえあってはならない。正確に言えば信用よりももっと狭くもっと深いものだろうけれど、ひょっとしたらツナにも命を奪われてもいいだなんて考えがうまれてしまう気がして意識的に思考を停めた。
「ほんとですよ。そんなだと襲われても文句言えないんだから」
「まったくだ」
 笑いながら離れていくツナの手のひらが、一度だけ右頬の痕を撫ぜる。ツナの動きでベッドの表面が動き、その波に混ざって身体を起こしたランチアが見たのはなんともいえない微妙な、それでも笑顔を浮かべたツナだった。
「ボンゴレ?」
「うーん…、そうじゃな…いや、しょうがないのかなあ」
「ボンゴレ」
 何故だか焦燥まで感じてツナを見る。それでもファミリーを束ねる青年はまばたきひとつの間にいつもの微笑みを取り戻してしまったらしく、にこにこしながらベッドに腰掛けた。それが当然の動作のようにサイドテーブルへ手を伸ばし、グラスに水を注ぐとランチアへ差し出す。
「いやいや、こっちの話なんで気にしないで下さいね。水どうぞ」
「……すまない」
「いえ」
 ごくり、喉を鳴らすところをなぜだかじっと見つめられて身体に変な力が入る。そんなランチアをツナがどう思っているのか、ランチア自身には決してわからない。わからないはずなのだ。
「まだ夜中ですから泊まってって下さい。あ、悪いとかナシですよ!この時間でウチからだとランチアさんが帰るって言うなら俺もう家に帰ってるかわいい部下をわざわざ呼び出して送らせないといけなくなるんですからね」
 俺を酷いボスにさせないでくださいよ。そんな言葉に苦笑を返して、ついでに世話になると言葉も返せばツナはうれしそうにふわりと笑った。その笑顔は変わらないものだ。出会った頃とかわらない少年めいた、そしてすこし眉の下がった。
「この部屋は好きに使ってもらってかまわないですから。明日の予定は?」
「しばらく仕事は入れてない」
「じゃあのんびりしてください。寝てても昼には起こしますから。……おやすみな、」
「ボンゴレ」
 言葉を遮ればツナがきょとんとした視線を向けてくる。特に大事なようでもないけれど、暇を告げる挨拶は聞いてしまわないうちの方が都合がいい。
「目も覚めたし身体も楽になった。お前の都合がいいならあと一杯ぐらい付き合ってくれないか」
 声を聞く前に表情で返事があり、ランチアは再度喉を鳴らした。でも今度は苦いものが含まれているわけではないのだ。ツナに対しても、ランチア自身に対しても。
 先ほど酔っていた時には気づかなかったけれど、この部屋には記憶に残る酒の瓶が置いてある。まだ封を開けていないらしいのはツナが誰かから贈られてまだ手をつけていないからだろうか。
 あまり頻繁には会えないけれど、こうして逢瀬を喜んでくれるツナだから、高いものだけど強請れば飲ませてくれるかもしれない。強請るだなんて、いったいどれほど久しぶりの行為だろうか。強請られたツナはどんな顔を見せてくれるだろう。
 ふ、と笑ってグラスを取りに行くツナの背を見る。ランチアさんみたくなれない、と零した背中は確かに比べてしまえば小さいもので、それでも背負っているものはランチアより余程重いのだろう。ランチアはそう思っている。
 彼が笑うなら、いいじゃないか。ついでに自らの希望も叶うなら。
「なあボンゴレ」
「はい」
 振り向くツナに少しだけ、わかりにくく笑って。
「棚のボトル…右の方の黒い…それだ、飲みたいんだがもらっていいか?」
「もちろん!珍しいですね」
「たまにはな」
 アルコールの美味さをわかるようになったのは今のツナの歳ぐらいになってからだ。それはきっと間違いなく歓迎出来ること。
「ついでに、摘み代わりに昔話でも聞いてくれるとありがたい」
「……、…はいっ」
 おとなしい笑みの、それでも瞳の中の光がランボやイーピンのそれと同じに見える。笑いそうになるのをこらえながら、ランチアはそうか、と一言返した。特に面白いわけでもないファミリーの話をツナが気に入るかはわからないが、聞いてもらえるなら相手はツナがいいとひどく単純に思った。ツナがいい。それだけだ。
 そう長い話ではない。
 どこにでもある世間話。
 それでいいじゃないか。

 自覚しないままの照れ隠しか、ランチアは一度ツナの髪を掻き乱し、注がれた酒を一口呷って光が浮かぶ瞳を見た。自然に口の端が上がる。

「俺がこどもの頃の話だ」
















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最後はいつも通りにツナとふたりで。
結局心のど真ん中にいるのはツナで、でもそれは皆同じなのかなーとか。