「がははははは!かしこいランボさんはぜっったい負けないんだもんね!」

 残されたカードは二枚。
 取れと言わんばかりに思いっきり一枚をずらして、もう一枚はほとんどちいさな手のひらの中。ババ抜きの最終局面でする行動じゃない。しかもランボだからフェイクはありえない。
 ちらりと家主に視線を走らせればにっこりと目を合わせて笑われ、ランチアはふ、と笑いには足りない程度に頬の筋肉を動かした。気づかれるとは思わなかった行動だが、どうにも一家の母という人間は受け入れたものに対して敏感らしい。懐かしさと居心地の悪さを同時に与えられたのは沢田家に足を踏み入れた瞬間からだが、短い滞在のうちにほとんどが懐かしさに変わってしまった。

「ぴぎゃああああ」

 ゆるく流れる空気に身を任せていると、おやつの時間に始まったトランプに漸く決着がついたようだ。ランボが隠そうとしているカードをイーピンがあっさり抜き取り、ぴょんぴょんと跳ねてよろこんでいる。

「イーピンちゃんの勝ち!」

 はしゃいでランチアの身体をよじ登ったイーピンを追いかけ、ランボまで泣きながら飛びついてくる。片手でイーピンを撫ぜ、もう片方でランボの背中を叩いてやると一瞬だけ泣き止んでからまた叫んだ。
 ちいさなこどもは軽過ぎて、逆にその重みのなさが怖い程だ。

「ランボ君も頑張ったわよね。よしよし」
「ママンーーー!」

 たたた、ランチアなら一歩もかからない距離をランボが走って行く。
 押し付けられていた特有の体温が離れていくのはなんとなくさみしい。イーピンの編んだ髪を指先に巻き付けて遊んでいると、ふふ、と笑い声が聞こえた。沢田奈々はなんともいえないほどやわらかい笑い方をする、とランチアは思う。

「イーピンちゃんはランチアさんと仲良しね」
「ランボも!ランボさんもランチアとなかよしだもんね!お風呂一緒に入っちゃうもんね!」

 その声にイーピンが何かしらわからない言葉で応答し、むきゃーと奇声を上げたランボと追いかけっこをし始めた。
 ばたばたと騒がしいリビングにひょいとビアンキが顔を出す。

「ママン、四時になったけど」
「あら大変!お買い物いかないと…っと、」

 そうやって奈々が視線をやった方向をつられて見て、ああ、と思う。
 洗剤にスポンジにたわしに、テーブルの上にそろえられた掃除道具達。午後の時間を台所の掃除に当てようとしていたのを子供達がゲームに誘ったんだった。誘われたのはもちろんランチア自身もだ。

「オレが、やりましょう。買い物にどうぞ」
「あらいいの?」
「力仕事なら役に立てますから」
「そうよママン、行かないとコロッケが売り切れちゃう」

 じゃあお願いしちゃおうかしら。
 そう言ってまた笑う奈々の向こう側からビアンキが視線を寄越してくる。
 どれだけの美貌を持つ女でもその質はやはりマフィアのもので、無言の声にランチアも同じもので諾と返した。愛されている母のナイト役はまた次の機会に。台所仕事など体力勝負力勝負、お世話になっている人間には言われなくても何かで返したいと思う。恩なんてものは、返せるうちに返さないと何が起こってしまうかわからないのだから。
 それに、ランチアの床に着いた手から肩、そして反対側へをコースに組み込んでしまっているチビ二人の面倒を見なければ。
 玄関先で女性を二人を見送った後、両肩にランボとイーピンを乗せたままランチアは腕を組んだ。もともと片付けられているキッチンは床を掃き軽く拭き掃除をすれば後は水回りぐらいで、せっかくだからと換気扇にもとりかかることにする。

「おってつっだいー♪おってつっだいー♪」

 シャツの袖をめくり上げたところでランボが絡まりながら運んできたのはエプロンだった。シンクに向かった途端に持ってきたということは普段から奈々の手伝いにもならないことはしているのだろう。

「えぷろん?はい!気が利くランボさんから!」

 思わず受け取って、まじまじとそれを見てからランチアは断ろうとして固まった。えっへん、と腰に手を当てて胸を張っているランボの横で、イーピンも何やら得意げにしながら紐の端を渡してくる。期待に満ちたきらきらした視線はどうにも苦手だ。
 もとより自分が口下手なことは知っているし、うまい断り文句等この戦いしか知らない頭には浮かばない。どうせこの二人はエプロンがランチアに似合うかどうかだなんて考えないに違いないのだし、子供をがっかりさせるよりは、とランチアはそのあわいピンク色を身に纏った。
 スーツに女性用エプロン、しかもピンク、という出で立ちになってからがまた大騒ぎだった。

「ぎゃははは!うんこうんこぶわー!」

 洗剤やスポンジ、タワシを持ったまま子供達は甲高い声で叫びながらランチアの身体の上を走り回る。

「あぁ、気をつけろお前達」

 走り回られることも善意のつもりだろうちょっかいも、慣れてしまったから特に問題ない。リボーンのように特にうざいと思わないのは沢田家の人間ではないからかもしれないが、特にそう思わないのは確かなことだ。
 ただ泡まみれの現状で、口や目に洗剤が入ってしまわないか、痛みを覚えてしまわないか。それだけが心配になって何度も声をかける。
 こちょこちょと遊んではそれでも手伝いたいのか、道具片手に寄ってくるのを制止しながら、どうにか換気扇のファンを磨き上げた。自分の傷だらけの手などどうでもいいが、強い洗剤は子供の柔肌にはきびしいだろう。そんなことを考えるよりも先に脳裏に浮かべて、さっさと水で洗い流す。

「できあーがり!ランボさん欲しくないよ!お手伝いのお礼にぶどうのアメなんて欲しいとかいわないよーだ!」

 泡を流し使ったものを一所にまとめ、布巾で水気を取り払えば完成だ。
 ランチアは両肩に乗る子供からのおねだりに苦笑して、そのままリビングに戻り、かけてあるジャケットの内ポケットに手を突っ込んだ。取り出したのはセロファンにくるまれた赤と黄色がひとつづつ。

「ぶどうの味は持ってない。これで勘弁してくれ」

 ポケットにはまだ少し飴が残っているが、紫色はなかったように思う。
 昨日一緒に「お使い」に出たフゥ太と「お駄賃」を半分こしたものだ。
 さっそくもごもごとしあわせそうに口を動かしている二人につられて、自らもひとつ口に含む。ごろごろ転がる人工的な甘味はどこか懐かしい。そういえば飴等食べるのは何時ぶりなのか、と考えたランチアの右頬をイーピンのちいさな手のひらが押した。

「ん?」

 飴で膨らんだところを押したのかと思えばそうでもないらしく、イーピンは不思議そうな顔をして手を動かす。労るでもない、無遠慮なまでに素直なその動作はどうやら頬にある二筋を気にしているようだった。

「あぁ、別に痛いものではない」

 既に自分に馴染んで久しいものだ。
 そう言えば昔はボスによくこの部分を触られたものだ。いやがる様が面白かったのだろうと今なら思うことができる。酒の席には肩を組んで歌う、マフィアながら気のいいひとたち、いや気のいいファミリーばかりだった。
 だからこの手は力を掴んだ、のに。

「ランチアー!ママンだ!」

 ぴょい、二人が床に身軽な動作で飛び降り、少しばかり意識を過去に向けているランチアを文字通りズボンの裾を引くことで引き戻した。

「行くよ行くよー!」

 足下にじゃれつく二人を好きにさせたままで廊下を歩けば、扉が開いて奈々とビアンキ、そしてフゥ太の姿が見える。

「おかえりママン!」
「ランボ君イーピンちゃんただいま。ランチアさんもありがとうございました」

 ふわふわと笑う奈々のような人物はファミリーに居なかった。
 居なかったのに懐かしいのはどうしてだろうか。
 遊ぶのに混ぜてーと膝に抱きついてくるフゥ太を撫ぜてやりながら、とりあえずランチアは重たげな買い物袋を受け取った。短い廊下を大人三人子供三人でぞろぞろ歩く。おみやげ、とまだ湯気のたつコロッケをひとりひとり奈々から配られ、ランチアは口に含んだもう僅かな飴玉を噛み砕くことがなんとなく惜しくて口をつけずに持て余していた。
 手に持つほかほかした美味しいものも、口の中のもう消えて行く甘さも、肌に触れる重みもあたたかさも、そしてこの空気も。
 きっと大切で根源にあるべきものだ。
 だからボンゴレ十代目はあんな男なのだ、とあっけないほどすとんとこころに落ちた考えにひとり納得して、今度こそ喉を鳴らす。

「あー!ランチア笑ってる、ランボさんも笑うもんねー!がははは!」

我も我もと寄ってくる小さいものによじ登られながら、ランチアは控えめにコロッケを一口齧った。






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20080124


記念すべきリボひとつめ。
忘年会で「スーツでピンクエプロンで換気扇掃除してるランチアさんが見たい…!」
とか馬鹿言った己にるんさんが答えてくれたお返しでした。らぶ。