※十年後イーピンとランチアさん 自らが風を切る音が一番うるさいはずなのに、とことんまで研澄まされた聴覚は相手の呼気まで捕らえてしまう。 ほそいほそい独特の流れは速さが変われど止まらない。ああ、だからこそ強い、そう思ってランチアは唇の端を歪めた。目の前の肢体は幼いが、そののびやかな動きと確実に急所を狙うためらいのなさに浮かぶのはよろこびだ。 拳での攻防を一蹴で払い、距離を取る。 表情の変化が切欠か、再び踏み込んできた一撃を捌いて関節を捕らえるべく腕を出せば、器用に力を逸らした少女が常人ならざる瞬発力で、ゆらいだランチアの背を支点に空へ踊り出した。続けざまに顔への蹴りは複数、滞空時間は驚く程長い。 全てを腕と体捌きでかわし続け、自然と後ろへ下がる動きのままに回し蹴りを叩き込む。蹴りというよりは撃ち落とすためのそれはもちろん防がれたが、軽い身体は衝撃に耐えきれず地面へと叩き付けられた。ランチアの追撃に迷いはない。 拳に独特の衝撃。骨に届く力の反響。 「……今日はおしまい、かなー?」 「そうだな」 イーピンが仰向けに倒れるその耳の真横ではランチアの拳が地面にめり込んでいる。覆いかぶさるような体勢の首元にはイーピンの手刀が突きつけられている。 ふう、と二人同時に息をひとつ。それからにっこり笑ったイーピンが両手を突き出してくるのをしばらく見てから、ランチアは甘えた子供の手を引いて起こしてやった。 穴をあけてしまった地面をおざなりに足で馴らしていると、あー、というイーピンの背伸びの声が聞こえた。 「気持ちよかったー!勝てなかったけど」 「勝てなかったのはオレも同じだ」 「そうだけど、うーんまあいいか」 こうしてランチアがイーピンと手合わせすることはそう珍しいことではない。獲物を使わず、己の肉体を武器とすること、に本領を発揮するスタイルは共通している。引退したと言いながら様々なことに巻き込まれているイーピンも、拳法自体を疎んでいるわけではない。今では会える時にはこれに時間を割くのが通例になってしまっている。 ここに晴れの守護者達でも混ざればまた違った空気なのだろうけれど、とりあえず二人で居る分には流れるそれは和やかだ。ランチアに取ってはいつまでもちいさいこどもなのだろうし、イーピンにとっては幼い頃を知られている気安い相手なのだから。 「よいっしょ」 「イーピン……」 「あはは」 胡座をかいて地面に座ったランチアの膝に、ためらいもなく腰を下ろす。そんなイーピンの行動をランチアは視線で咎めたが、それでも拒みはしなかった。 「いいお天気」 「そうだな」 真っ青な空に白い雲が行く筋かたなびいている。 吹き抜ける風は汗ばんだ皮膚を撫ぜて冷やしてくれた。 「ランチア」 「ん」 「こないだ着てたのと、今日着てたのと、コートどっちがかわいいかな?」 「……それはオレに聞くことなのか」 「やだなあ、ランチアに聞いてるよ?」 ランチアに抱え込まれる形になっているイーピンは上機嫌だ。それこそイーピンの意思を汲むならば雲雀に聞くか、いろんな理由でランボに聞けばいいことだと思う。それでも請われたことには素直に答える性質を持ってして、ランチアは脳裏にイーピンの服装を思い描いた。手合わせの前、着替える前に見たものと、先週あった時に見たもの。正直細かいところまで記憶に残ってないけれど、とりあえず自らの基準で「かわいい」を選べばいいらしい。 深呼吸みっつぶんぐらいの間を置いて、選んでみる。 「……そうだな、今日の方が」 「ほんと!うれしいな、こないだ一目惚れして買ったやつだから」 笑顔で見上げてくる視線をそのまま受け止めて、ランチアははしゃぐイーピンの髪を撫でた。 「お前もあいつも、いつもたのしそうだ」 「そりゃああたしだってランボだって、それにフゥ太兄も沢田さんもリボーンさんも、みんなランチアのこと好きなんだもの」 そりゃ楽しくなっちゃうよ。イーピンはそう言って身体を半分捻るとランチアの頬に触れた。見上げる身長差は抱きかかえられていても頬が高い位置にあるのはかわらない。 まだ肩にイーピンを乗せていた頃から続いている彼女の癖は、十年後の今も続いている。 「そうか」 「そうなんです」 ぽすん、と前を向いたイーピンが体重を預けてくる。風がざわりと髪を揺らせば、もう汗はどこかに行ってしまっていた。 「さて、着替えて飯だな。楽々軒か」 「夜は沢田さんちでママンのご飯だしね。じゃ、また後で」 その言葉の直後に与えられた感触に、ランチアは思わず頬を押さえた。右頬に変わらず在る二筋、そこに触れたのはいつもの細い指先でなく。 驚きや照れなんかよりも、疑問が一番大きい。次いで苦笑になりきれないものが滲み出る。 「お前……ほんとにする相手が違うだろう」 「こんなことランチアじゃないと出来ないよー!ほんとに」 雲雀さんには恥ずかしくて無理だし他の人は考えられないし、うん、ランチアじゃないと。あたしが恥ずかしがりなのしってるでしょ。 それでもやはり照れたのかぱたぱたとイーピンは手で頬に風を送っている。 「それに「おまえ」って言われて腹が立たないのもランチアと沢田さんと獄寺さんとリボーンさんと…ってあれ、これって結構いっぱいいるってことになるんかな?」 不思議そうに首を傾げてしまった少女を取りあえず着替えに促して、ランチアは今度は一人で空を見上げた。まあ多少の照れがこちらにあったのも事実だが、とにかく時間の流れというものは恐ろしい。 「……女、だな」 何歳だって女は女だが、それは時を経てより深くなるものだ。 思わずひとつため息をついて、それから年頃の女の子らしく少しだけお洒落をして戻ってくるだろうイーピンを待つために、自らも着替えに向かった。 そして、二択とはいえランチアが選んだコートを身に着けたイーピンとラーメン屋へ足を運ぶのだ。 それはなんて幸せなひととき。
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