ジャワジャワと蝉が五月蠅い。 テストなんぞという面倒くさいモノは終わり俺にとってはくだらない補習がある。かといって受ける必要も受ける気もないもんだから、クーラー浴びつつ読書しようと図書室目当てで学校へ行こうとした矢先、アパートの半分壊れたベルが鳴った。ピンポーン、のポーン、しか鳴らない間抜けなベルが二・三度響く。 普段から鍵をかけないドアを髭剃りの手を止めないまま蹴り開ければ。 「お久しぶりです、カカシさん」 四年ぶりの、 「イ、ルカ…先生ぇ?」 その姿。 ジャワジャワジャワ、蝉が五月蠅い。 日照りが暑い。 『A Gentle Summer』 イルカという人間を誰よりも知っていると幼い頃の俺は自負していたのだが、それはとんでもない間違いだった。 彼はちいさい俺の家庭教師という名目で接してはいたが、俺はその頃から今と変わらず偏差値社会の恩恵を受けているこどもだったため本来そんなもの必要じゃなかった。三歳年上のイルカは実際俺の子守だったのだろう。俺もまたべったりイルカになついていたわけだし。 なんとなく覚えている記憶がある。父も母もいないと(父は実際には仕事に出ていただけだが)ぐずる俺に差し伸べられた手。今日から一緒ですよと言った声。では頼む、とその手よりさらに上から降ってきた、いつの間にかそこにいた父の声。 気が付けば俺の生活にはイルカが常に存在した。 「にーちゃん、イルカにーちゃん」 と呼んでいた記憶もあるにはある。ある程度成長してからは「にーちゃん」という幼い呼称が恥ずかしくなって「イルカ先生」と呼んでいた。 イルカ自身は基本的に俺には敬語で話しかけてくる。 たまに口が悪くなる時もあるけれど、俺の前で平気で煙草を吸ったりもしていたけれど、常に態度は一歩引いていた。雇われ者のソレ。 どういう経緯でイルカがずっと俺の家に住んでいて俺の面倒を見ているのか当時は深く考えようともしなかった。それよりもイルカが側にいる方が大切な事実だったからだ。 だから。 会えなくなる時になって初めて、イルカが異母兄だったと知った。 「結構いいとこ住んでるじゃないですか」 家に何もないのでコンビニに食料を仕入れに行って、帰ってきた俺を出迎えたことばがそれだった。 「ま、流石にあの家で暮らすのもしんどいんで」 四年ぶりに会うイルカは俺より微妙に背が低い。 とはいえ俺は割と長身な方だし、イルカだってそうなのだろう。 昔は見上げていたのに、同じ位置で視線を交わすのは変な感じだ。 「ほら、手ぇ洗ってくださいよ」 昔と変わらない台詞。だけどその手に二つのワイングラス。 「寿司取りましたから。ね?」 ひらひらと部屋の隅にかためて置いてあったピザやらなんやらの出前セットのうち、あまり使わないテイクアウト寿司のチラシを振っている。というか、どっからそのグラス引っ張り出してきたんだアンタ。 …ガサ入れしやがったな、野郎。 「あ痛ァッ!!」 などと考えながら歩いていたら足の小指を敷居にぶつけてしまった。 滅茶苦茶痛い。畜生。 何でこうキレイに小指だけがぶつかるんだろうか。 「大丈夫ですか?」 呑気な声。こんなところは全然変わってない。昔だって走って転んでびぃびぃ泣いてる俺を放置して消えてしまって、イルカがいないのが悲しくて余計泣き叫ぶ頃に救急箱を持って現れるような男なのだ。 涙目になっている俺にかまわずイルカはとくとくとワインを注いで俺に渡してくる。それでも、懐かしさよりまだ気恥ずかしさが勝つし、聞きたいことだって沢山ある。 視線は泳いでひとつところにとどまって。 ガシャン、と音を立て俺の手から滑り落ちたグラスが横になった。 「あわわわわ」 「カカシさんッ、拭くもんっ」 「あーそこのタオルとってタオル!!」 入れたばかりのワインはグラスの底にうっすら溜まるだけで殆ど零してしまった。 もったいない、と怒られるかと思っていたら、聞こえてきたのは笑い声。痛い拳骨を落とされる覚悟をしていた耳にその振動が心地良い。 「なに動揺してんですか」 とくとくとく。 耳に心地良い音を立て、綺麗な色をした液体がまた注がれる。 今度は直接俺が持つグラスの中に。 ちん、とグラス同士を合わせて、目の前でにっこりと。 「…俺だって、緊張してますよ」 四年ぶりですっけ?とか何とか、イルカは言っているようだったけれど。 俺は只、イルカの白い首を見ていた。
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Wパラレルです。現代物で、私の大好きな話から。
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